持統天皇

慶雲

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲元年④ 止まない災害、失われる秋稼

国の平安を祈り慶雲に改元したものの災異はやまず、とうとう文武天皇は詔によりこの年の全国の税や労役を全て免除するという思い切った手段に出た。というのも当時、災害や疫病は神の怒りであり、天子の不徳がその原因であるとされてきたのである。天皇のご心中は穏やかでない。
大宝

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝3年④ 持統上皇の葬送、歴代天皇で初めての火葬

持統上皇の崩御後、約1年間の殯を経てついに火葬が行われた。これまで天皇の葬送は土葬であったが、仏教を深く信仰した持統上皇は歴代で初めて火葬により葬られた。そして、上皇は夫である天武天皇と同じ山陵で永遠の眠りにつくことになったのである。
大宝

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝3年② 右大臣阿部御主人没す。天皇、新羅国王の弔使をねぎらう

みちのくこんにちは、みちのくです☀️今回もよろしくお願いします。いずみ大宝3年の4月からですね!さっそくいってみましょう!♨️大宝3年(西暦703年)現代語訳・解説持統上皇の百か日法要夏 4月2日(癸巳みずのとみ) 太上天皇だいじょうてんの...
大宝

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝3年① 諒闇で明けた新年、刑部親王の知太政官事任命

昨年年末に崩じた、先帝であり文武天皇の祖母である持統上皇。上皇の喪に服すため、国家の大儀である元日朝賀の儀は取りやめとなり、天皇は政務を取りやめた。未だ若い20歳の文武天皇最大の後見人であった持統上皇が失われた今、国はどう動いていくのか?
大宝

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝2年④ 持統上皇最後の行幸…そして崩御

天皇時代から行幸を愛した持統上皇最後の行き先は…やはり吉野?いや、三河国(愛知県東半部)だった!『万葉集』に残る和歌で、行幸に従駕した当時の人々の思いに心を傾けてみよう!!
大宝

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝元年⑤ 持統上皇最後の吉野行、大臣を騙した男

数十回にわたり行われた持統天皇(持統上皇)の吉野行幸。これに込められた思いや狙いとはいったいなんだったのか?