【石段上り下りで】嵯峨天皇御陵奉拝記【運動不足解消?】

史跡などの感想や解説
みちのく
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探訪記録2回目!今回は嵯峨天皇御陵に行ってきました☀️

いずみ
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おつかれさまです!
ところで御陵とはなんですか?

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御陵とはすなわち、亡くなられた天皇がお眠りになる地です。
山陵や天皇陵、陵(みささぎ)と呼ばれることもあります。

嵯峨天皇陵の図。『文久山陵図』より
いずみ
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山の頂ですね。まさに「山陵」

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じっさい、こんな感じの山道でした!

嵯峨天皇

嵯峨天皇肖像

系図

父は偉大な桓武天皇、母は藤原鎌足4世の乙牟漏

 嵯峨天皇は第52代天皇。
 その御父は、軍事においては坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命して蝦夷平定戦争を断行。政治においては延暦3年(784)に都を平城京から長岡京へ遷し、つづいて延暦13年(794)平安京遷都を達成し、1000年の都を開いた天皇として超有名な桓武天皇です。

いずみ
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794(鳴くよ)ウグイス平安京!
つまり、桓武天皇は平安時代最初の天皇ということですね

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このブログでも取り上げている『続日本紀』の編集を命じたのも桓武天皇です。
歴代でも一般的によく知られている偉大な天皇ですね。

 御母は、桓武天皇皇后の藤原乙牟漏おとむろ。嵯峨天皇のほか、その兄である第51代平城へいぜい天皇をお生みになりました。藤原鎌足の4世孫です。

能筆家、「三筆」としてたたえられる嵯峨天皇

 嵯峨天皇の時代は唐風文化が全盛で、唐において「書聖」と評された王羲之にならった書風が好まれました。嵯峨天皇は同時代で関わりの深かった空海や橘逸勢と並び、後世に「三筆」とたたえられました。

光定戒牒(こうじょうかいじょう)(延暦寺蔵)
哭澄上人詩(こくちょうしょうにんし。個人蔵、青蓮院伝来) 
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これらは嵯峨天皇の直筆の書です。天皇の肉筆による書を「宸翰しんかん」といいます。

いずみ
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なんて書いてあるのか全くわかりませんが、流れるような筆跡が美しいです。
文字はただ記号として伝えるだけでなく、格調高い芸術ですね!

 また、漢詩も詠まれ、勅により漢詩集の『凌雲集りょううんしゅう』、『文華秀麗集ぶんかしゅうれいしゅう』編纂を命じられ、文化興隆に努められました。

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日本初の勅撰漢詩集です!
嵯峨天皇みずからの漢詩も収載されています。

大覚寺境内 空海との深い交流を歌う嵯峨天皇の漢詩

御陵について

自らの死に臨む嵯峨天皇 薄葬の詔

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病に侵され死期を悟った嵯峨天皇(当時は譲位して太上天皇)は、自らの葬儀について細かく指示し、葬儀をすることなく、質素な形で葬ってほしい(薄葬)ことを強く遺言しました。

『続日本後紀』 承和9年(842)7月15日(丁未ひのとひつじ) (とても長いのでかんたんに要約)

 嵯峨太上天皇が崩御した。宝算57。
 太上天皇は次のように遺詔した「私は、太上天皇としての大きな葬儀を行うことを希望しない。徳のない自分が死後に国家に出費をさせる必要はまったくない。死とは自然のものであり、肉体はすぐに朽ちてしまうものである。1000年の先も体が残るように処置をすることは、この本来のあり方に背いている。

 よって、朝に亡くなれば夕には葬り、夕に亡くなれば翌朝には葬るようにせよ。埋葬するときの装束も特別なものを新たに作る必要はなく、平素の着慣れたものを着ていればよい。その他の飾り付けも必要ない。

 嵯峨院(今の大覚寺)の山北の無用な地を選んで3日の内に埋葬すること。埋葬に従事する嵯峨院の従者のみ喪服を着て、天下の役人や百姓は喪服を着用することはない。(以下略)

いずみ
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信念を感じますね。きっと死後の世界に強いこだわりがあったのだと思います。
そのためには豪華で盛大な葬儀は絶対にやめてほしかったのでしょう。

 実際に嵯峨天皇の希望通り、葬儀は行われず崩御の翌日16日のうちに北の山に埋葬されました。

みちのく
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ただ、嵯峨天皇のこの遺詔を考えると、今のように立派に修理された御陵というのはある意味天皇の御意志に反しているのかもしれません??

嵯峨天皇陵の陵印

御陵の正式名称「嵯峨天皇 嵯峨山上陵」とある。
いずみ
いずみ

御陵に印鑑があるんです?
どういうときに使うんですかね…?

参拝道は石段!

みちのく
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前置きが長くなりましたが、いざ嵯峨天皇御陵へレッツゴー

「嵯峨天皇嵯峨山上陵参拝道」とあります。
いずみ
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文字つめつめで石碑のスペースがだいぶ余ってますね

石碑の右奥に参拝道の入り口がある
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見ての通り、嵯峨天皇陵への途中は長い石段になっています。
たぶん500段くらいはあったと思います!(数えてたけど途中でやめた)

いずみ
いずみ

500段!?しんどい、、、💦

みちのく
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参道はとてもよく整備されていますし、石段の1段1段は低めになっていますから歩きやすいですよ。

よく整備された石段。ゴミの1つもありません
いずみ
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天皇さまの御陵につづく参道、さすがにきれいですね!

みちのく
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天皇陵は、宮内庁書陵部が管理しています☀️

宮内庁が管理。ここは神域のため獣をみだりに入れてはならないのである。

京の都を見下ろす眺望!

参道の途中から展望が広がり、京都市の盆地を一望できる。11月11日撮影。
いずみ
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おお、はるか都で視界がいっぱいですね!✨

みちのく
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おほきなる父のみやこをたまひて 嵯峨の山上やまへ皇霊みたましづまる

いずみ
いずみ

そちらはどなたの歌でしょうか?

みちのく
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僕です。

いずみ
いずみ

平安京をつくった父親を、嵯峨天皇はどのように感じていたのでしょう。
嵯峨の山にしずまったあとも、この街並みを見守っていられるはずですね!

みちのく
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やや方角を左側に向けると、この間訪れた「双ヶ丘」も見えます。
手前にある池は「広沢池」、さらにその右手前には大覚寺境内の「大沢池」も見えます。

いずみ
いずみ

本当にいい眺めです♨️

拝所に到着!

鳥居が見えてきた
いずみ
いずみ

拝所です。心静かに手を合わせましょう🙏

みちのく
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ところで御陵は神社ではないのですが、鳥居もありますし、天皇は神の子孫なので
神社に参拝するときの作法、「二拝二拍手一拝」をするべきなんですかね??

いつも迷います。。

続日本後紀(上) 全現代語訳
続日本後紀(下) 全現代語訳







そうだ、京都、行こう。

アクセス

参道前に駐車場はないので、公共交通機関(京都市バスなど)で大覚寺駐車場まで行き、そこから徒歩(15分ほど)で向かうことをおすすめします。

まとめ?

いずみ
いずみ

御陵参拝はその天皇のことを勉強するきっかけになっていいですね♨️

みちのく
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陵墓訪問記はもしかしたらシリーズ化するかもしれません☀️

コメント

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