元明天皇 【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 和銅3年① 平城京へ遷都。飛鳥時代の終焉と奈良時代の始まり 和銅3年(西暦710年)、元明天皇は藤原京からの遷都を実行に移し平城京を新たな都とした。時代区分としては、平安京遷都に始まる794年までの84年間「奈良時代」の始まりである。 2025.08.28 元明天皇和銅続日本紀
元明天皇 【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 和銅2年④ 平城遷都で動揺する庶民。天皇、再び平城へ 翌年の3月に迫る平城京遷都。おそらく和銅2年末には京の造営は大詰めに入っており、あとはどのタイミングで遷都を決行するかという段階に入っていたのではないだろうか。12月、天皇は藤原京から最後の平城宮行幸をとり行った。 2025.08.13 元明天皇和銅続日本紀行幸
元明天皇 【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 和銅2年③ エミシ征討将軍の凱旋。天皇、平城を行幸し百姓を巡撫し給う 今の山形・秋田の蝦夷(蝦狄)の征討軍はどうやら戦果を得たようで、節刀を賜った将軍は藤原京に凱旋し元明天皇はこれを嘉した。これと並行して天皇は第2回目の平城宮視察を実施。宮の造営もどうやら順調に進んでいるようで治世の先行きに明るさを感じさせる。 2025.08.03 元明天皇和銅続日本紀行幸
元明天皇 【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 和銅2年② 新羅使入京、右大臣・藤原不比等と懇談する。 時期不明ながら大宰府に到着していたと思われる新羅使の一行が藤原京に到着する。元明女帝即位後初めての新羅使来朝である。藤原不比等は執政の大臣として史上初めて使者と懇談を行い、2カ国の誼(よしみ)を結ぶのであった。 2025.07.26 元明天皇和銅続日本紀
元明天皇 【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 和銅2年① 蝦夷征討軍の徴発と持節将軍の任命 平城京の造営が進められているさなか、突如越後と陸奥の蝦夷の征討軍が組織される。皇化に馴染まぬ夷狄が良民を害しているのだと『続日本紀』は伝えている。遠江、駿河、信濃、甲斐、越前、越中、上野など多数の国から兵を招集し朝廷はどうやら本気のようだ。 2025.07.19 元明天皇和銅続日本紀
元明天皇 【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 和銅元年⑤ 大嘗祭に臨む天皇、緊張感の中で歌を詠む 即位後、初めて11月を迎えた元明天皇。この月は天皇一世一代の重要祭祀である大嘗祭が執り行われる。天皇はこのときに御製を詠まれており、そのときの心境が天皇の姉である御名部皇女の答歌により推察することができる。天皇個人の感情を知ることのできる貴重な史料が今に残されていたのである。 2025.07.06 元明天皇和銅続日本紀
人物列伝 【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 和銅元年④ 平城京予定地、視察の旅へ 山の木々が色づき、涼風が吹き始める9月。元明天皇は即位後初の行幸に出発した。行き先は菅原、平城京の予定地である。ケガレの満ち満ちた藤原京から脱するため遷都は喫緊の課題であった。なんと(710)きれいな平城京遷都まで残り1年半。 2025.06.21 人物列伝元明天皇和銅続日本紀行幸
元明天皇 【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 和銅元年③ 和同開珎の銀銭・銅銭を鋳造 天皇、高官たちに訓示を下す 和銅改元が行われ、その記念硬貨と言うべき「和同開珎」はこの年の5月と7月に、銀銭と銅銭の鋳造がそれぞれ開始されるのであった。世にいう「皇朝十二銭」の魁である。貨幣そのものはこれより以前にも日本にはあったが、今回の貨幣は本格的な流通を目指していたと思われるが、実態はどうだったのだろう? 2025.06.15 元明天皇和銅続日本紀
元明天皇 【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 和銅元年② 和銅の新体制、春の管理職人事。国防の要職に護衛武官を賜う 和銅に改元され、新しい天皇の時代が本格的に始動した。国政を主導する太政官の人事が行われ、元老と呼ばれるにふさわしい69歳の忠臣・石上麻呂が右大臣から昇進し首席として左大臣に任じられる。しかし、当時の政権の中心は麻呂と入れ替わりに右大臣に就任した藤原不比等だった…? 2025.06.01 元明天皇和銅続日本紀
元明天皇 【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 和銅元年① 和銅改元、平城遷都の詔 -平城之地、四禽叶図、三山作鎮- 元明天皇が即位し、初めて年が明けた。正月の早々に東国の武蔵国から和銅が発見され、献上される。天皇はこれを大いに慶び、元号をそのものズバリ「和銅」と改めた。そして平城京への遷都の詔…。新たな御代が天からの賜り物が贈られると共に大きく動き出した。 2025.05.24 元明天皇和銅慶雲続日本紀
元明天皇 【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 慶雲4年② 凡為政之道、以礼為先。全ての政道は礼を先とする 君主の代替わりは政変が起きやすいもの。そこで朝廷は新たに授刀舎人寮を設置した。これはのちの近衛府の原型組織であり、天皇や皇太子の側衛を担ったと思われる。そして元明天皇は官吏の綱紀粛正を図って改めて正しい礼法の徹底を命ずる。 2025.04.27 元明天皇慶雲続日本紀
元明天皇 【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 慶雲4年① 元明天皇即位。史上唯一、子から母への皇位継承 文武天皇には皇子がいた…のちの聖武天皇である。しかし、未だ数えで7歳の幼少であり皇位を継承することは不可能であった。病に倒れた文武天皇は苦渋の中で母に譲位することを決断し、今際の際にあった天皇であり我が子を前にして元明天皇はやむを得ぬまま宝祚を受け入れる決断をしたのであった。 2025.04.20 元明天皇慶雲文武天皇続日本紀