慶雲

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【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲3年② 大宝律令、修正される〜慶雲の改革〜

大宝律令施行から早5年。対外的に「日本国」と号令し独立国としての道を歩み出した我が国。しかし丹精込めて作り上げた大宝律令は早くも現実に合わない不合理な規定もあり、改正の必要が生じていた。文武天皇は詔を発し慶雲の律令改革が断行されるのであった!
人物列伝

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲3年① 元日、新羅使をもてなす。忠臣大神高市麻呂の死去

災害や飢饉などの窮状に苦しむ姿を見せまいと、国の威信をかけ外国の使者をもてなす日本。文武天皇は新羅の聖徳王に外交文書として国の平安を祈り、王の消息を尋ねる。春首未だ寒し、国王つつがなしや。
人物列伝

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲2年④ 天智天皇の孫、葛野王の卒去と人物伝

天智天皇の孫であり、壬申の乱で敗死した大友皇子の子である葛野王が亡くなった。葛野王は敗者の血統にあり、乱後を生きながらも持統天皇に対しまっとうな皇位継承策を奏上する。持統天皇は葛野王の奏言を喜び、まだ若い孫へ皇位を繋ぐことを決意する。
慶雲

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲2年③ 八咫烏神社の創建と八咫烏の降臨? 騎兵大将軍任官

日照りが続くというのは、太陽の力が強すぎるということ。日本においては太陽は天照大神であり、皇室の祖神である。そのため日本は天照大神の使いである八咫烏(やたがらす)を祭ることを決める。そして越前からはなんと八咫烏のヒナが献上されるというにわかに信じ難い記事が…。
慶雲

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲2年② 飢ゑる国民 ゴーストタウンと化す藤原京

熱心な祈雨も天には通じず、とうとう8月を迎えても雨が降らない慶雲2年。刑部親王という文武天皇の強力なサポーターや大納言という高官が相次いでこの世を去ってしまう。窮まった朝廷はとうとう藤原宮の正門を閉鎖してしまう…。
慶雲

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲2年① 約3年ぶりの天皇行幸 朕、民を救わんが為…

水害、日照り、疫病などの諸問題を抱えたまま明けた慶雲2年。民を思い心を痛める文武天皇は「民の苦しみを救わんがため」と有徳の詔を煥発する。果たして天皇の思いは天を感応させるのだろうか?
慶雲

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲元年④ 止まない災害、失われる秋稼

国の平安を祈り慶雲に改元したものの災異はやまず、とうとう文武天皇は詔によりこの年の全国の税や労役を全て免除するという思い切った手段に出た。というのも当時、災害や疫病は神の怒りであり、天子の不徳がその原因であるとされてきたのである。天皇のご心中は穏やかでない。
慶雲

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲元年③ 衝撃を受ける遣唐使。君子国、日本

2年前に出発した遣唐使が唐から無事に帰国した…!遣唐使たちから聞かされた話に朝廷は衝撃を受ける…!!国史に記録された当時のエピソードをその目で確認せよ…!!!
慶雲

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲元年② 祥瑞出現により改元。人心一新・政局打開なるか?

突如、藤原宮の西の楼に煙のような雲のようなものが立ちのぼった。その様子は昇龍のようで、文武天皇の徳による治世が天に認められたことの証明となったのである。これを最高の吉兆、「大瑞」と認定し、元号を「慶雲」と改めたのであった。
大宝

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲元年① 喪明けの正月、日本流お辞儀の廃止令

持統上皇の喪明けにより、朝賀が2年ぶりに大極殿にて行われた。また、国印の製作や、ひざまずくお辞儀である跪礼の廃止など、大陸にならった改革が行われ日本は模索と成長を続けていく。一方飢餓や災害や疫病なども起こり…。