元明天皇 【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 慶雲4年① 元明天皇即位。史上唯一、子から母への皇位継承 文武天皇には皇子がいた…のちの聖武天皇である。しかし、未だ数えで7歳の幼少であり皇位を継承することは不可能であった。病に倒れた文武天皇は苦渋の中で母に譲位することを決断し、今際の際にあった天皇であり我が子を前にして元明天皇はやむを得ぬまま宝祚を受け入れる決断をしたのであった。 2025.04.20 元明天皇慶雲文武天皇続日本紀
慶雲 【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲4年② 文武天皇の崩御、宝算二十五 即位から10年、数々の厄災が日本を襲う中、文武天皇は崩御する。宝算は25。当時において、そもそも天皇即位には30歳以上であることが不文律として存在していたため、15歳で即位し、25歳で崩御した文武天皇は非常にイレギュラーな存在だったことは間違いない。 2025.04.15 慶雲文武天皇続日本紀
慶雲 【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲4年① 遷都…?ケガレまみれの藤原京。不比等、天皇から激賞される 悪い意味で極まった藤原京ー。京中は死穢が蔓延し悪臭が漂う。とうとう詔により遷都のことが会議されることになった。そのような情勢の中、重臣であり天皇の岳父である藤原不比等には大命(おおみこと)にもとづき尋常じゃないレベルの領地が授けられる。こんな調子で大丈夫か日本!? 2025.04.05 慶雲文武天皇続日本紀
慶雲 【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲3年⑤ 難波…天皇最後の行幸 晩秋9月、文武天皇は神武東征の時から語られ、歴代の天皇が宮を建てたこともある摂津国難波に行幸した。大飢饉や疫病の大流行する中、文武天皇は難波の地に何を見たのだろうか。このときは、これが天皇最後の行幸になるとは知る由もなかったことだろう。 2025.04.01 慶雲文武天皇続日本紀行幸
慶雲 【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲3年④ 頻発し、やまぬ山火事 各地で山火事が頻発する。当時、自然発生する火災は「神火」といい神の怒りによって引き起こされたものと考えられていた。天皇がつい数ヶ月前行幸に訪れた地でも山火事が起き、何かの意思を感じずにはいられない。 2025.03.30 慶雲文武天皇続日本紀
慶雲 【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲3年③ 天皇、詔して王公諸臣に仁・義・礼を説き給う 災害級の天候不順、飢饉、疫病、ついには京・畿内におびただしい数の盗賊が出没するようになり、藤原京は死穢・汚穢の悪臭が漂う都となってしまった。盗賊追捕のさなか、文武天皇は詔により仁義礼を説き、百姓に横暴をはたらく王公諸臣を戒める。 2025.03.19 慶雲文武天皇続日本紀行幸
慶雲 【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲3年② 大宝律令、修正される〜慶雲の改革〜 大宝律令施行から早5年。対外的に「日本国」と号令し独立国としての道を歩み出した我が国。しかし丹精込めて作り上げた大宝律令は早くも現実に合わない不合理な規定もあり、改正の必要が生じていた。文武天皇は詔を発し慶雲の律令改革が断行されるのであった! 2025.03.08 慶雲文武天皇続日本紀
人物列伝 【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲3年① 元日、新羅使をもてなす。忠臣大神高市麻呂の死去 災害や飢饉などの窮状に苦しむ姿を見せまいと、国の威信をかけ外国の使者をもてなす日本。文武天皇は新羅の聖徳王に外交文書として国の平安を祈り、王の消息を尋ねる。春首未だ寒し、国王つつがなしや。 2025.03.01 人物列伝慶雲文武天皇続日本紀
人物列伝 【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲2年④ 天智天皇の孫、葛野王の卒去と人物伝 天智天皇の孫であり、壬申の乱で敗死した大友皇子の子である葛野王が亡くなった。葛野王は敗者の血統にあり、乱後を生きながらも持統天皇に対しまっとうな皇位継承策を奏上する。持統天皇は葛野王の奏言を喜び、まだ若い孫へ皇位を繋ぐことを決意する。 2025.02.23 人物列伝慶雲文武天皇続日本紀
慶雲 【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲2年③ 八咫烏神社の創建と八咫烏の降臨? 騎兵大将軍任官 日照りが続くというのは、太陽の力が強すぎるということ。日本においては太陽は天照大神であり、皇室の祖神である。そのため日本は天照大神の使いである八咫烏(やたがらす)を祭ることを決める。そして越前からはなんと八咫烏のヒナが献上されるというにわかに信じ難い記事が…。 2025.02.22 慶雲文武天皇続日本紀
慶雲 【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲2年② 飢ゑる国民 ゴーストタウンと化す藤原京 熱心な祈雨も天には通じず、とうとう8月を迎えても雨が降らない慶雲2年。刑部親王という文武天皇の強力なサポーターや大納言という高官が相次いでこの世を去ってしまう。窮まった朝廷はとうとう藤原宮の正門を閉鎖してしまう…。 2025.02.15 慶雲文武天皇続日本紀
慶雲 【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲2年① 約3年ぶりの天皇行幸 朕、民を救わんが為… 水害、日照り、疫病などの諸問題を抱えたまま明けた慶雲2年。民を思い心を痛める文武天皇は「民の苦しみを救わんがため」と有徳の詔を煥発する。果たして天皇の思いは天を感応させるのだろうか? 2025.02.09 慶雲文武天皇続日本紀行幸
慶雲 【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲元年④ 止まない災害、失われる秋稼 国の平安を祈り慶雲に改元したものの災異はやまず、とうとう文武天皇は詔によりこの年の全国の税や労役を全て免除するという思い切った手段に出た。というのも当時、災害や疫病は神の怒りであり、天子の不徳がその原因であるとされてきたのである。天皇のご心中は穏やかでない。 2025.02.02 慶雲持統天皇文武天皇続日本紀
慶雲 【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲元年③ 衝撃を受ける遣唐使。君子国、日本 2年前に出発した遣唐使が唐から無事に帰国した…!遣唐使たちから聞かされた話に朝廷は衝撃を受ける…!!国史に記録された当時のエピソードをその目で確認せよ…!!! 2025.01.26 慶雲文武天皇続日本紀
慶雲 【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲元年② 祥瑞出現により改元。人心一新・政局打開なるか? 突如、藤原宮の西の楼に煙のような雲のようなものが立ちのぼった。その様子は昇龍のようで、文武天皇の徳による治世が天に認められたことの証明となったのである。これを最高の吉兆、「大瑞」と認定し、元号を「慶雲」と改めたのであった。 2025.01.24 慶雲文武天皇続日本紀
大宝 【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲元年① 喪明けの正月、日本流お辞儀の廃止令 持統上皇の喪明けにより、朝賀が2年ぶりに大極殿にて行われた。また、国印の製作や、ひざまずくお辞儀である跪礼の廃止など、大陸にならった改革が行われ日本は模索と成長を続けていく。一方飢餓や災害や疫病なども起こり…。 2025.01.12 大宝慶雲文武天皇続日本紀