遣唐使

慶雲

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲4年② 文武天皇の崩御、宝算二十五

即位から10年、数々の厄災が日本を襲う中、文武天皇は崩御する。宝算は25。当時において、そもそも天皇即位には30歳以上であることが不文律として存在していたため、15歳で即位し、25歳で崩御した文武天皇は非常にイレギュラーな存在だったことは間違いない。
慶雲

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲4年① 遷都…?ケガレまみれの藤原京。不比等、天皇から激賞される

悪い意味で極まった藤原京ー。京中は死穢が蔓延し悪臭が漂う。とうとう詔により遷都のことが会議されることになった。そのような情勢の中、重臣であり天皇の岳父である藤原不比等には大命(おおみこと)にもとづき尋常じゃないレベルの領地が授けられる。こんな調子で大丈夫か日本!?
慶雲

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲元年④ 止まない災害、失われる秋稼

国の平安を祈り慶雲に改元したものの災異はやまず、とうとう文武天皇は詔によりこの年の全国の税や労役を全て免除するという思い切った手段に出た。というのも当時、災害や疫病は神の怒りであり、天子の不徳がその原因であるとされてきたのである。天皇のご心中は穏やかでない。
慶雲

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲元年③ 衝撃を受ける遣唐使。君子国、日本

2年前に出発した遣唐使が唐から無事に帰国した…!遣唐使たちから聞かされた話に朝廷は衝撃を受ける…!!国史に記録された当時のエピソードをその目で確認せよ…!!!
大宝

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝元年④ 右大臣ボーナス、古代の単位、第8回遣唐使

『続日本紀』大宝元年(701)3月から6月までの記事を解説。古代で使われていた単位や、競馬(くらべうま)、5月5日の端午の節と菖蒲(あやめ)のかかわり、遣唐使などについて触れています。