万葉集

慶雲

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲3年⑤ 難波…天皇最後の行幸

晩秋9月、文武天皇は神武東征の時から語られ、歴代の天皇が宮を建てたこともある摂津国難波に行幸した。大飢饉や疫病の大流行する中、文武天皇は難波の地に何を見たのだろうか。このときは、これが天皇最後の行幸になるとは知る由もなかったことだろう。
慶雲

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲3年③ 天皇、詔して王公諸臣に仁・義・礼を説き給う

災害級の天候不順、飢饉、疫病、ついには京・畿内におびただしい数の盗賊が出没するようになり、藤原京は死穢・汚穢の悪臭が漂う都となってしまった。盗賊追捕のさなか、文武天皇は詔により仁義礼を説き、百姓に横暴をはたらく王公諸臣を戒める。
大宝

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝2年④ 持統上皇最後の行幸…そして崩御

天皇時代から行幸を愛した持統上皇最後の行き先は…やはり吉野?いや、三河国(愛知県東半部)だった!『万葉集』に残る和歌で、行幸に従駕した当時の人々の思いに心を傾けてみよう!!
大宝

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝2年① 朝賀の儀、礼服の着用、雅楽の演奏…日本、律令国家2年生

「文物の儀、ここに備われり」…律令国家の夜明けを迎え1年。2年生になった独立国家日本。文武天皇は20歳となるが当時としてはまだまだ若すぎる天皇である。官僚制が始動し、天皇御璽を押印する重みを日々感じつつ政務にあたっていたことだろう。
大宝

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝元年⑥ 紀伊国行幸、皇嗣・首皇子誕生

この年、文武天皇のもとに、のちに聖武天皇として即位する首皇子が誕生する。この文章を書いているときに思いついたのだが、もしかすると元号の「大宝」とは国内の金の発見ではなく、お世継ぎが誕生をもって名付けられたのではないだろうか?
大宝

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝元年② 唯一の御製和歌

『続日本紀』の大宝元年2月の記事を現代語訳&解説。釈奠の史料初見、記録に残る文武天皇唯一の和歌を掲載。
文武天皇

【現代語訳】続日本紀 文武天皇4年② 律令国家前夜、明日香皇女の挽歌、九州地方の統一

続日本紀、文武天皇4年(700年)3月から12月までの記事を現代語訳&解説。万葉集に歌われる天智天皇の皇女・明日香皇女の挽歌、大宝律令の完成、九州地方で起きた事件などについて取り上げています。
人物列伝

【現代語訳】続日本紀 文武天皇4年① 万葉歌にみえる新田部皇子、道照和尚と三蔵法師

天武天皇の男子、新田部皇子を歌った万葉歌。唐に渡って三蔵法師に師事した名僧・道照などについて触れています。海中に沈んだふしぎなお鍋についても。
文武天皇

【現代語訳】続日本紀 文武天皇3年② 南の島からの来訪者

『続日本紀』文武天皇3年(699)7月から12月までの記事を現代語訳・解説します。南の島との国交、弓削皇子(天武天皇皇子)、巡察使、義淵法師、鋳銭司などについて。
文武天皇

【現代語訳】続日本紀 文武天皇2年⑤ 大嘗祭

『続日本紀』文武天皇2年(698)9月から12月までの記事を解説します。伊勢斎宮、各国から献上された顔料、大嘗祭や蝦夷の防御施設「柵」などについて。
文武天皇

【現代語訳】続日本紀 文武天皇2年② たまきはる宇智

『続日本紀』文武天皇2年2月5日から3月9日までの記事を現代語訳&解説。即位後初めての行幸。宇智とはどんなところだったのか?万葉歌とともに解説。