行幸

慶雲

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲2年① 約3年ぶりの天皇行幸 朕、民を救わんが為…

水害、日照り、疫病などの諸問題を抱えたまま明けた慶雲2年。民を思い心を痛める文武天皇は「民の苦しみを救わんがため」と有徳の詔を煥発する。果たして天皇の思いは天を感応させるのだろうか?
大宝

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝2年④ 持統上皇最後の行幸…そして崩御

天皇時代から行幸を愛した持統上皇最後の行き先は…やはり吉野?いや、三河国(愛知県東半部)だった!『万葉集』に残る和歌で、行幸に従駕した当時の人々の思いに心を傾けてみよう!!
大宝

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝2年③ 天皇2度目の吉野行幸、隼人の反乱、2つの落雷事件

天皇の御在所が近い宮城門と国家の英雄ヤマトタケルの墓へ相次いで落雷。その上隼人の反乱など、不穏な事件が続く…。そのときの文武天皇や持統上皇の心境やいかに!?(わかりません)
大宝

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝元年⑥ 紀伊国行幸、皇嗣・首皇子誕生

この年、文武天皇のもとに、のちに聖武天皇として即位する首皇子が誕生する。この文章を書いているときに思いついたのだが、もしかすると元号の「大宝」とは国内の金の発見ではなく、お世継ぎが誕生をもって名付けられたのではないだろうか?
大宝

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝元年⑤ 持統上皇最後の吉野行、大臣を騙した男

数十回にわたり行われた持統天皇(持統上皇)の吉野行幸。これに込められた思いや狙いとはいったいなんだったのか?
大宝

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝元年② 唯一の御製和歌

『続日本紀』の大宝元年2月の記事を現代語訳&解説。釈奠の史料初見、記録に残る文武天皇唯一の和歌を掲載。
大宝

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝元年① 律令国家の夜明け

『続日本紀』の文武天皇紀、大宝元年(701)正月の記事を現代語訳&解説。近年、この時の朝賀の遺構が発掘され、続日本紀の記事の信憑性の高さが証明された。ついに律令国家の夜明けを迎えたのである。文物の儀、ここに備われり。
文武天皇

【現代語訳】続日本紀 文武天皇3年① 修験道の祖・役小角

文武天皇3年(699)1月26日から6月27日までの記事を解説します。難波宮行幸、祥瑞、皇族、役小角、修験道、山田寺など。
文武天皇

【現代語訳】続日本紀 文武天皇2年② たまきはる宇智

『続日本紀』文武天皇2年2月5日から3月9日までの記事を現代語訳&解説。即位後初めての行幸。宇智とはどんなところだったのか?万葉歌とともに解説。