
こんにちは、みちのくです☀️
今回は、国司・郡司などをめぐる記事が多いです。一連の記事は「地方政治どうなってんの?もっとちゃんとしなさいよ!」みたいな、腐敗や不正に対する怒りから来ているものが中心になっている気がします。

全て、和銅5年の5月中の出来事なんですよね。そう考えると、この1ヶ月で地方に関する決まり事が一気に動いたような感じ。
和銅5年(壬子・西暦712年)現代語訳・解説
疫病の発生(駿河国)
5月4日(壬申) 駿河国(静岡県中部)に疫病が発生したため、薬を支給して治療させた。
駿河國疫。給藥療之。
官人のベルトの装飾を規制する
5月5日(癸酉) 六位以下が白銅(銅に錫を多めに加えた銀白色の合金)や銀で革帯(革製の帯。ベルト)を飾ることを禁じた。
禁六位已下以白銅及銀餝革帶。
官人には朝服という公務に従事する時の制服があり、その仕様の詳細は律令の衣服令第5条の「朝服条」に定められています。

これによると、革帯は「腰帯」の名称で次のような規定があります。
五位以上は、金銀をもって装飾した腰帯
六位以下は、烏油の腰帯(烏油とは、黒漆を指す)

五位以上と六位以下できっちりと線引きされていたんですね。金銀と黒漆では違いが一目瞭然で分かりそうですが、どんな風に装飾されていたのでしょうか。

ラピスラズリ(紺玉)で飾られた正倉院宝物「紺玉帯 残欠」を見る(宮内庁のサイトに移動)

上のイラストに、□や◯の形の物がついていますね。五位以上は、これに金銀を用いて飾り、六位以下は銅に黒漆を塗ったものを使用することが決まりでした。のちの時代には、金属ではなく石が使用され「石帯」と呼ばれるようになりました。

拾石遺跡から出土。 日高市高麗郷民俗資料館より

真っ黒な黒漆を使うべきところを、白銅や銀で飾っていたということは、本来とは真逆の色になっているわけですから、かなり目立ったはずですよね。

そうでしょうね。六位以下と言っても幅広く、六位と最下層の初位では15階層もの開きがあるので、六位からすれば「初位のやつと一緒にするな」というプライドゆえに上位者っぽく装飾したのかもしれません。

わざわざ詔で禁令が出されるということは、六位以下の間でかなり流行していて、朝廷としても見過ごせなくなっていたのかも…?
詔(私服を肥やす国司たちを糾弾する)

5月13日(辛巳) 次のように詔した。「諸国の大税(租税のこと。正税ともいう)の3年間の賑貸(貧民救済のために、無利子で金銭や穀類を貸し与えること)は、もとは百姓の窮乏を救わんが為である。今、国司・郡司・里長らは、この恩借によりみだりに方便をなして政を害し、虫のように民を食い物にしている。これより甚だしいものはない有様である。もしこの恩借をまげて不正に私腹を肥やすことがあれば、重罪とし、恩赦(刑罰を免除すること)のあるときであってもその罪は許されない」と。
詔曰。諸國大税。三年賑貸者。本爲恤濟百姓窮乏。今國郡司及里長等。縁此恩借妄生方便。害政蠧民莫斯爲甚。如顧潤身。枉收利者。以重論之。罪在不赦。
「妄生方便」みだりに方便をなす とは
前年11月22日(壬辰)の詔で、租で徴収した稲の貸付け(公出挙)をするにあたり、3年間は利息を得てはならないことが決められました。これは百姓の窮乏を救済するためのものでしたが、国司・郡司・里長は「みだりに方便をなして」民から搾取しているとのこと。
この「方便」とは例えば、なんだかんだと理由をつけて百姓から私的に利益を得たり、手数料や保管料、その他義務のない労働を課すなど、無利息貸付を骨抜きにするようなことを指すと考えられ、地方政治の腐敗があったことを示しています。
この記事を見るに、公出挙は、【国司ー郡司ー里長】という、律令制の地方の階層構造(国郡里制)がそのままに運用されていたようです。この中でも里長は百姓に最も近い「窓口」になる存在であり、不正の発生源になり得る立ち位置にあったと思われます。里長の不正は郡司・国司の知るところとなっても、これを黙認・握り潰すことの見返りに里長は上納金(稲?)を納めるなど、「共謀」のような実態もあったのかもしれません。

利息を取れないということは、貸す側に何のメリットもないわけですから、どうにか口実を作って利益を得ようとしたわけですね。

不正が起きるには必ず理由がありますから、そこを考えるのが大事ですね。
「害政蠧民」政を害し民を食い荒らす とは


「害政蠧民」の「蠧」は樹木を内側から食い荒らす害虫のキクイムシのこと。民を救済するための施策を不正の温床にし、その生活を食い荒らすさまをキクイムシに比喩しているわけです。

天皇の名により行われる徳政を台無しにされた強烈な怒りを「害政蠧民」の文字から感じられますね。

実際に、これを重罪とし、恩赦があっても許さないぞと怒りを露にしていますね。
国司の移動の際の食糧や馬などについて定める

5月16日(甲申) 初めて国司の巡行、並びに遷代(任期を終えて別の官職に異動すること)の時に支給する粮(食糧)・馬・脚夫(荷物の運送を担った労働者。運脚)の法を定めた。その内容は別式に詳細がある。
初定國司巡行并遷代時給粮馬脚夫之法。語具別式。
国守(国司の長官)の重要な職務のひとつに、国内の巡行があります。律令の戸令第33【国守巡行条】には、毎年一度、国内の郡を巡行して行政や裁判、人民の生活状況などを視察すべきことが規定されています。また、新任の時や任期満了の時などは国司の京・任地間の移動があるため、そのさいの食糧、馬、脚夫の数量・人数などについて具体的な細則(式)が定められたということです。

その「別式」は現存してるんですか?

別式の原本は現存していないようです。ただし、平安時代前期にできた律令注釈書の『令集解』には、この別式の内容が引用されています。その大まかな内容は以下の通り。
・国司巡行時の将従(従者)の人数 次官以上は3人、判官以下は2人、史生は1人
・支給される食糧 1日あたり米2升、酒1升。史生は酒8合
優秀な郡司及び百姓を中央に推薦する
(続き)
太政官は次のように奏上(天皇に上申すること)した。
〈その1〉 有能な郡司として、よく戸口(世帯やその人数、人口)を増やす、調・庸の収入を増やす、農桑(農耕と養蚕)を勧課(奨励すること)する、人民の匱乏(経済生活が貧しいこと)を減らす、逋逃(逃げ隠れること)を禁ずる、盗賊を粛清(厳しく取り締まること)する、戸籍・計帳(調・庸を徴収するための帳簿)が正確で戸口の記載漏れがない、判断が理にかない訴訟において冤罪がない、郡司の職にあって匪懈(怠りがないこと)であり、その身を立てるにおいて清慎(潔白で慎み深いこと)である。
〈その2〉 郡司の職にあって貪濁(貪欲で不正があること)であり、職務が公平でない、欠点が多く公務において成果を挙げられない、百姓を侵没(財産を奪う、横領する)する、口利きを受けて公の施策を私的に動かす、ほしいままに奸猾(悪賢いさま)行って良い官職を求める、田疇(田畑)を開墾しない、租・調を減収させる、戸籍・計帳に多く虚偽があり正しく記載されていない、郡境に逋逃する者がいる、畋遊(狩り、遊猟)にふけって際限がない。
〈その3〉 百姓が農桑に精務し生産が日毎に増している、窮乏している者を助け養う、獨惸(身寄りのない人)を助け生かす、孝悌(父母などの年長者を敬うこと)の人として村里にその名が知られる、その材識(才能と識見)が重要な仕事に堪えられる。
もし郡司及び百姓で、上の3条に基づき、3句以上に当てはまる者があれば、国司はその詳細を書状にし、朝集使(毎年一度、諸国の状況を中央に報告するために送られた使者)につけて推挙させることとします。
これを奏可(奏上を許可すること)した。太政官奏稱。
郡司有能繁殖戸口。増益調庸。勸課農桑。人少匱乏。禁斷逋逃。肅清盜賊。籍帳皆實。戸口無遺。割斷合理。獄訟無寃。在職匪懈。立身清愼。〈其一〉
居官貪濁。處事不平。職用既闕。公務不擧。侵沒百姓。請託公施。肆行奸猾。以求名官。田疇不開。減闕租調。籍帳多虚。口丁無實。逋逃在境。畋遊無度。〈其二〉
又百姓精務農桑。産業日長。助養窮乏。存活獨惸。孝悌聞閭。材識堪幹。〈其三〉
若有郡司及百姓准上三條有合三句以上者。國司具状附朝集使。擧聞。
奏可之。
有能な郡司や百姓の推薦基準として、3ヶ条が決められました。
〈その1〉は、有能な郡司の基準を示し、〈その2〉はダメ郡司について、〈その3〉は有能な百姓の基準を示しています。この3ヶ条のうち、〈その1〉に3つ以上当てはまる郡司、同様に〈その3〉に3つ以上当てはまる百姓は、その名前を書状に記し、朝集使に託して中央に推薦することとなったのです。
詔
令規定の不徹底をただし、弾正台に取り締まりを行わせる
5月17日(乙酉) 諸司の主典(四等官の序列4番目のポスト)以上、並びに諸国の朝集使たちに次のように詔した。「律令を定めて以来、年月はすでに久しくなっている。しかし、未だその制度に成熟しておらず、過失が多い。今後もし令に違反する者があれば、その犯情に従って律により科断(過ちを裁くこと)する。弾正台(官人や諸司を綱紀粛正し、不正を取り締まる部署)は月に3度諸司を巡察して違反をただし、もし廃闕する者(仕事に精励しない者)があれば、その事状の詳細を式部省に申し送り、考(勤務考査)の日に勘問(罪状を責め問うこと)せよ。
詔諸司主典以上。并諸國朝集使等曰。制法以來。年月淹久。未熟律令。多有過失。自今以後。若有違令者。即准其犯。依律科斷。其彈正者。月別三度。巡察諸司。糺正非違。若有廢闕者。乃具事状。移送式部。考日勘問。
大宝律令が定められたのは大宝元年(701)ですから、すでに11年以上の歳月が経過しています。しかし、律令の規定に習熟していないのか、それとも単に遵守するモラルが低いのか、律令に基づいた政務が行われていない面が目立ってきていたようです。弾正台という、官人や役所の不正を取り締まる官司に、月に3度巡察を行わせ、不正などがあれば罪を科し、責任追及を行う厳しい姿勢を明確にしました。

月3回の巡察とは、けっこう厳しいですね。

律令の規定は多岐に渡りますから、不正や怠慢ももちろんあったと思いますが、規定そのものが実情に合ってない不合理なものもあったのではないでしょうか。律令施行から10年以上経ち、現場ベースではそれが表面化してきたという側面もありそうです。
また、詔の対象者には朝集使がおり、国司や郡司たちの不正や怠慢は、朝集使が責任を持って中央に伝達する義務があることを、ここで念押ししたような形になっているといえます。
国司の公務のために入京する使者の心構え
(続き)
また、国司の公務のために入京する使者は、その公務の内容をよく理解し、業務に堪える者を充てるようにすること。使者もまた事状をよく知っておき、国司の着任以来の年別の状迹(業績、履歴)を全て把握して、問われたときには答えられるようにしておくべきであり、礙滯(とどこおること)があってはならない。もしこれを執り行えない者があれば、その官人及び使者は、上に準じて科断せよ。
又國司因公事入京者。宜差堪知其事者充使。使人亦宜問知事状。並惣知在任以來年別状迹。随問弁荅。不得礙滯。若有不盡者。所由官人及使人。並准上科斷。
ここでいう「国司の公務のために入京する使者」とは、主に朝集使のことを指していると思いますが、このような言い回しをするということは、計帳使・正税帳使・貢調使などの使者も含めているのでしょう。

計帳使・正税帳使・貢調使と朝集使を合わせて「四度使」といいます。
朝集使はその国の政治状況や人民、地理などを含めた国情全般の情報を集めて中央に報告するため、4種の使者で最も重要視されていました。

「国司の着任以来の年別の状迹を全て把握して、問われたときには答えられるように」とありますが、これはかなりのプレッシャーですね。しかも罰則まで与えられるとは厳しすぎませんか…?

推測ですが、例えば国司が朝集使を買収して、不正は握り潰し、業績は話を盛って中央に伝えさせようとするとか…そういった実態もあったのかもしれません。

そうであれば中央の怒りの理由もよく分かりますね。「問われたときに答えられない」ということは、国司の業績を深掘って追及したときに不正がバレるということ。使者は罰則の対象になるわけですね。
毎年巡察使を派遣する
(続き)
今後は、毎年巡察使を派遣して国内の豊倹(豊かなことと不足していること)・得失(利得と損失)を検校(事実を調べ、検査すること)する。巡察使が到着する日には、公平な心を持って正直に申告し、隠すことがあってはならない。もし巡察使の問いを経て不正が発覚した場合は、前の如く科断する。国司は、毎年官人たちの功過(功績と過失)・行能(品行と才能)ならびに景迹(行い、行状、経歴)を記録し、すべて式部省に考状(官吏の勤務成績を記した上申書)に付けて申し送り、式部省は巡察の所見を勘会(地方官の行政の実際と中央官庁の帳簿とを照合すること)すること」と。
自今以後。毎年遣巡察使。検校國内豊儉得失。宜使者至日。意存公平。直告莫隱。若有經問發覺者。科斷如前。凡國司。毎年實録官人等功過行能并景迹。皆附考状申送式部省。省宜勘會巡察所見。
巡察使は、太政官直轄で臨時に設置されるもので、中央の官が直接地方の政治状況を視察することとされています。巡察使に選ばれるのは、律令の規定によると「清正灼然たる者」とあり、人となりが清廉潔白であることが認められる人物とされました。

要するに、賢明で優秀、国に忠実な人物が巡察使として地方にやってくるわけです。これは国司たちに大きなプレッシャーを与えていたのではないでしょうか。
そして、巡察の結果と、国司が送った中央への上申書を勘会(照合)し真実を明らかにするという形になりました。

なかなかに、抜かりのないルールになっているような気がします。
太政官処分(印の申請)


5月28日(丙申) 太政官は次のように処分した。「位記(位階と姓名が記載された身分証明書)の印は、太政官に申請すること。諸国に下す太政官符(太政官が管轄下の官司に送る通達文書)の印は、弁官(太政官と八省の間で扱われる公文書の橋渡しをする役割を担う部署)に申請すること」と。
太政官處分。凡位記印者。請於太政官。下諸國符印者申於弁官。
内印と外印
ここでいう「印」とは、内印と外印を指し、命令・通達・辞令などの公文書に、天皇や太政官の名を捺印するための印鑑です。
律令の「公式令」によると、内印は「天皇御璽」とも呼ばれ、五位以上の位記と諸国に下す公文書に押され、外印は「太政官印」とも呼ばれ、六位以下の位記と太政官の下す公文書に押されました。
今回の太政官処分では、「位記に押す内印または外印は、太政官に申請してね」ということと「諸国に下す太政官符に押す内印は、弁官に申請してね」という2つの手続きを制度化したものです。

太政官符なのに、押すのは太政官印じゃなくて天皇御璽なんですね。

これは太政官符であっても「諸国に下す」文書だからですね。
外印の偽造事件がきっかけになったか

5ヶ月前の、前年12月2日(壬寅)条において、外印を偽造し不正に叙位を行ったという事件がありました。今回の太政官処分はこの事件を受けて、再発防止のために内印・外印の押印を太政官または弁官に申請するという手続きを定めたものと推測されます。

申請の履歴を残すことにより、[押印の申請履歴がない文書→不正の疑いのある文書]という判断ができることになります。

履歴を調べない限りは不正が表に出ないので、まだまだ対策としては完全とは言い難い感じはしますね。


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