今日は11月23日、勤労感謝の日です。
もともとこの日は宮中の神道祭祀である「新嘗祭」が行われる祭日ですが、戦後の昭和23年(1948)にこの日を新憲法の政教分離原則に基づいて名前を変え、この「勤労感謝の日」という名前になりました。

1948年以前も「新嘗祭」という名前の祭日で、休日になっていました。
ちなみに、祭日というのは皇室儀礼や祭祀による休日のことをいいます。

では、祝日は祭日以外のことを言うのでしょうか?

かつては祝日は国家的な慶事を祝う日で、祭日以外の休日とされていましたが戦後に「祝日法」が定められて以後、祭日という区分がなくなり、すべて「国民の祝日」となりました。

年配の人がよく「祭日」とか「祝祭日」と言いますけど、法律的には今は祭日ってないんですね。
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延喜式に見る、新嘗祭が行われた日

先述の通り、11月23日は新嘗祭の日ですが、かつてはこの日に固定されていたわけではありません。延喜5年(905)に編まれた律令の施行細則『延喜式』には新嘗祭について次のように書かれています。
『延喜式』第11巻 太政官式 第77条「鎮魂新嘗条」より
新嘗者、中卯祭之
現代語訳:新嘗は、中の卯の日にこれを祭れ。

かつては数字の日付ではなく、干支(えと、かんし)で行事の日を定めていました。
現在は寅年や巳年など、干支は年単位のものでしか意識することはないのですが、当時は日付に用いられ日常生活と密接していました。

日付どころか方角とか時刻にも干支が使われてましたよね。
ところで今年の干支ってなんでしたっけ…??
中卯の日とは、ひと月に訪れる卯の日のうち、2度目の卯の日のことをいいます。干支は12種類なので1ヶ月が30日とすると、同じ干支が2度訪れることになります。

ねーうしとらうーたつみーうまひつじ、さるとりいぬい…
干支によっては3回目のものもありますね。

11月1日が子の日なら、中の卯の日は11月16日になります。なのでかつては23日ではなく、16日が新嘗祭になる年があったわけです。
律令原典にも書かれている
大宝元年(701)に『大宝律令』として成立し、その後の養老2年(718)の改訂版である『養老律令』には新嘗祭(ここでは天皇の即位後初めての新嘗祭である「大嘗祭」)の日取りは次のように書かれています。
『養老律令』第3巻 神祇令 第8条「仲冬条」より
下卯大嘗祭
「仲冬」は11月。
「下卯」は卯の日が3回ある月は、上卯・中卯・下卯で3回目を指しますが、卯の日が2回ある月は2回目の日を指し、この条の「下卯」は2回目の卯の日のことと解されています。

このように、延喜式からさらに遡っても新嘗祭は卯の日に行うことが法制化されていました。

まあ、『延喜式』はその律令の細則ですからね。
『日本書紀』にも
律令からさらに遡る『日本書紀』にも新嘗祭が卯の日に行われた記述があります。
第24巻 皇極天皇紀 治世元年(642)11月丁卯(16日)
天皇御新嘗。是曰、皇子、大臣各自新嘗。
現代語訳:天皇は新嘗祭を行われた。この日、皇子や大臣もそれぞれ新嘗の祭りを行った。
第29巻 天武天皇紀 治世6年(677)11月己卯(21日)
新嘗。

新嘗祭を卯の日に行うのは、およそ1400年前にはすでに伝統として定着していたのですね。
ただし例外もある

続いて『日本書紀』より、実は卯の日に新嘗祭が行われなかった事例も存在します。
4月の新嘗祭 用明天皇(聖徳太子の父)
第21巻 用明天皇紀 治世2年(586)4月丙午(2日)条
御新甞於磐余河上。是日天皇得病還入於宮。群臣侍焉。天皇詔群臣曰。朕思欲歸三寶。
現代語訳:天皇は磐余の河上で新嘗祭を行われた。この日、天皇は病となり宮に還られた。群臣はこれに侍した。天皇は群臣に次のように詔した。「朕は三宝(仏教)に帰依することを望む」と。
これは『日本書紀』に見える最古の事例なのですが、卯の日どころか11月ですらなく、4月に行われた事例です。これについては、さまざまな可能性が考えられます。
・ここでいう「新嘗」とは稲のことではなく、麦など別の作物の収穫祭を指している?
・この新嘗祭は即位後初めて行われる「大嘗祭」であり、その特殊性から儀式の一部を4月に行ったのではないか?
・古い事例であり、当時はまだ11月固定ではなかった可能性?
・『日本書紀』編集時の誤りで11月に挿入するところを誤って4月にしてしまった?

これは僕の憶測・深読みなのですが、4月の新嘗祭という異例のことを行った結果、天皇は神の祟りにより同日に病を得てしまった…ということを『日本書紀』編者は示唆しているような気がしています。

ホラーですね。

神の祭りを「軽視して」4月新嘗祭を行った上、当時受容するかどうかで賛否両論があった外国の神の信仰(仏教)を表明したのですから、天皇の病は国の神の祟りと認識されたこと自体は確かにあったと思います。

祭りの日の当日に病気ですもんね…。
このあと間もなく用明天皇は崩御し、仏教受容派の蘇我氏 VS 仏教排斥派の物部氏の戦争(丁未の乱)が勃発します。
正月の新嘗祭 舒明天皇(天智・天武天皇の父)
第23巻 舒明天皇紀 治世11年(639)正月乙卯(11日)条
新嘗。蓋因幸有間、以闕新嘗歟。
現代語訳:新嘗祭を行った。おそらく、有間温泉への行幸があったので新嘗祭を行っていなかったのだろう。
これは11月ではなく正月に新嘗祭が行われた事例です。ただし、用明天皇の時と違い、卯の日を選んで行われています。興味深いのは、記事中で正月に行われた理由を説明しているところでしょう。
舒明天皇は、前年10月〜翌年正月8日までの間、有間温泉(今の神戸市北区にある有馬温泉)に行幸しており、11月中は宮にいなかったことが分かります。そのため新嘗祭も11月には行われなかったということです。

これは理由が明確ですね。

正月であっても卯の日を選んでるあたり、やはり新嘗祭は卯の日という慣例は当時すでにあったようです。ただし「中卯」ではないようですが。

11日が最初の卯の日ということは、中卯は23日になりますね。
でも神の祭りを湯治を理由に行わなかったのもまずいような気がしなくもないですね…。
明治以後、11月23日に固定されたワケ
以上見てきたように、史書に残る最古の事例を除き、新嘗祭は11月の2度目の卯の日に行われてきました。これに変更が加えられたのは、明治6年(1873)のことでした。この年の太政官布告「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」で、「十一月二十三日 新嘗祭」とされ、干支は関係なく11月23日に固定されました。

固定された理由は単純です。新嘗祭は祭日(休日)です。その祭日が毎年干支によって違う日にずれると官民ともに不便だから23日を動かさないことにしたのです。

うーん、ちょっと合理性に傾きすぎな気がしますが。1400年前からの伝統は…?私はちょっとモヤっとしてしまいますね。

合理性、利便性を優先した結果、失われた伝統であるというのはその通りだと思います。ちなみに今年、令和7年11月23日の干支は「丙申」サル🐵の日ですね。

そもそも、今の祝日は「勤労感謝の日」なんですから、建前上祝日と新嘗祭って切り離されてますよね。それなら新嘗祭の日付は中卯にして、祝日そのものは23日に固定すれば良いのではないでしょうか。

いづみさん、今日はとても冴えてますね。



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