宣命

元明天皇

【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 和銅元年① 和銅改元、平城遷都の詔 -平城之地、四禽叶図、三山作鎮-

元明天皇が即位し、初めて年が明けた。正月の早々に東国の武蔵国から和銅が発見され、献上される。天皇はこれを大いに慶び、元号をそのものズバリ「和銅」と改めた。そして平城京への遷都の詔…。新たな御代が天からの賜り物が贈られると共に大きく動き出した。
元明天皇

【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 慶雲4年① 元明天皇即位。史上唯一、子から母への皇位継承

文武天皇には皇子がいた…のちの聖武天皇である。しかし、未だ数えで7歳の幼少であり皇位を継承することは不可能であった。病に倒れた文武天皇は苦渋の中で母に譲位することを決断し、今際の際にあった天皇であり我が子を前にして元明天皇はやむを得ぬまま宝祚を受け入れる決断をしたのであった。
慶雲

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲4年① 遷都…?ケガレまみれの藤原京。不比等、天皇から激賞される

悪い意味で極まった藤原京ー。京中は死穢が蔓延し悪臭が漂う。とうとう詔により遷都のことが会議されることになった。そのような情勢の中、重臣であり天皇の岳父である藤原不比等には大命(おおみこと)にもとづき尋常じゃないレベルの領地が授けられる。こんな調子で大丈夫か日本!?
文武天皇

【現代語訳】続日本紀 文武天皇元年① 15歳の即位

文武天皇元年(697)8月、持統天皇の譲りを受け皇太子珂瑠皇子は即位する。当時、天皇即位は30歳以上であることを要するのが不文律となっていた中、当時の史上最年少の15歳で即位となった非常にイレギュラーな存在であった。『続日本紀』には現存最古の宣命文が文武天皇即位宣命として残されている。