新羅

慶雲

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲3年⑤ 難波…天皇最後の行幸

晩秋9月、文武天皇は神武東征の時から語られ、歴代の天皇が宮を建てたこともある摂津国難波に行幸した。大飢饉や疫病の大流行する中、文武天皇は難波の地に何を見たのだろうか。このときは、これが天皇最後の行幸になるとは知る由もなかったことだろう。
慶雲

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲3年③ 天皇、詔して王公諸臣に仁・義・礼を説き給う

災害級の天候不順、飢饉、疫病、ついには京・畿内におびただしい数の盗賊が出没するようになり、藤原京は死穢・汚穢の悪臭が漂う都となってしまった。盗賊追捕のさなか、文武天皇は詔により仁義礼を説き、百姓に横暴をはたらく王公諸臣を戒める。
人物列伝

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲3年① 元日、新羅使をもてなす。忠臣大神高市麻呂の死去

災害や飢饉などの窮状に苦しむ姿を見せまいと、国の威信をかけ外国の使者をもてなす日本。文武天皇は新羅の聖徳王に外交文書として国の平安を祈り、王の消息を尋ねる。春首未だ寒し、国王つつがなしや。
人物列伝

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲2年④ 天智天皇の孫、葛野王の卒去と人物伝

天智天皇の孫であり、壬申の乱で敗死した大友皇子の子である葛野王が亡くなった。葛野王は敗者の血統にあり、乱後を生きながらも持統天皇に対しまっとうな皇位継承策を奏上する。持統天皇は葛野王の奏言を喜び、まだ若い孫へ皇位を繋ぐことを決意する。
慶雲

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲2年③ 八咫烏神社の創建と八咫烏の降臨? 騎兵大将軍任官

日照りが続くというのは、太陽の力が強すぎるということ。日本においては太陽は天照大神であり、皇室の祖神である。そのため日本は天照大神の使いである八咫烏(やたがらす)を祭ることを決める。そして越前からはなんと八咫烏のヒナが献上されるというにわかに信じ難い記事が…。
慶雲

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲2年② 飢ゑる国民 ゴーストタウンと化す藤原京

熱心な祈雨も天には通じず、とうとう8月を迎えても雨が降らない慶雲2年。刑部親王という文武天皇の強力なサポーターや大納言という高官が相次いでこの世を去ってしまう。窮まった朝廷はとうとう藤原宮の正門を閉鎖してしまう…。
慶雲

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲元年④ 止まない災害、失われる秋稼

国の平安を祈り慶雲に改元したものの災異はやまず、とうとう文武天皇は詔によりこの年の全国の税や労役を全て免除するという思い切った手段に出た。というのも当時、災害や疫病は神の怒りであり、天子の不徳がその原因であるとされてきたのである。天皇のご心中は穏やかでない。
大宝

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝3年④ 持統上皇の葬送、歴代天皇で初めての火葬

持統上皇の崩御後、約1年間の殯を経てついに火葬が行われた。これまで天皇の葬送は土葬であったが、仏教を深く信仰した持統上皇は歴代で初めて火葬により葬られた。そして、上皇は夫である天武天皇と同じ山陵で永遠の眠りにつくことになったのである。
大宝

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝3年③ 庚午年籍不改の詔

高校の日本史教科書にも登場する、有名な日本最初の全国的な戸籍「庚午年籍」。通常、戸籍は一定期間の保存期間を過ぎれば廃棄されるが、庚午年籍は特に文武天皇の詔により、永久保存とされた。その理由は??
大宝

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝3年② 右大臣阿部御主人没す。天皇、新羅国王の弔使をねぎらう

みちのくこんにちは、みちのくです☀️今回もよろしくお願いします。いずみ大宝3年の4月からですね!さっそくいってみましょう!♨️大宝3年(西暦703年)現代語訳・解説持統上皇の百か日法要夏 4月2日(癸巳みずのとみ) 太上天皇だいじょうてんの...
大宝

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝3年① 諒闇で明けた新年、刑部親王の知太政官事任命

昨年年末に崩じた、先帝であり文武天皇の祖母である持統上皇。上皇の喪に服すため、国家の大儀である元日朝賀の儀は取りやめとなり、天皇は政務を取りやめた。未だ若い20歳の文武天皇最大の後見人であった持統上皇が失われた今、国はどう動いていくのか?
大宝

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝元年① 律令国家の夜明け

『続日本紀』の文武天皇紀、大宝元年(701)正月の記事を現代語訳&解説。近年、この時の朝賀の遺構が発掘され、続日本紀の記事の信憑性の高さが証明された。ついに律令国家の夜明けを迎えたのである。文物の儀、ここに備われり。
文武天皇

【現代語訳】続日本紀 文武天皇4年② 律令国家前夜、明日香皇女の挽歌、九州地方の統一

続日本紀、文武天皇4年(700年)3月から12月までの記事を現代語訳&解説。万葉集に歌われる天智天皇の皇女・明日香皇女の挽歌、大宝律令の完成、九州地方で起きた事件などについて取り上げています。
文武天皇

【現代語訳】続日本紀 文武天皇3年① 修験道の祖・役小角

文武天皇3年(699)1月26日から6月27日までの記事を解説します。難波宮行幸、祥瑞、皇族、役小角、修験道、山田寺など。
文武天皇

【現代語訳】続日本紀 文武天皇2年① 朝賀

『続日本紀』文武天皇2年(698年)元日から2月3日までの記事を現代語訳&解説。文武天皇は藤原京の大極殿にて、官人たちや新羅の使節から朝賀を受けられた。
文武天皇

【現代語訳】続日本紀 文武天皇元年③ 対蝦夷、対新羅外交

『続日本紀』文武天皇元年(697年)8月29日から12月28日までを現代語訳&解説。東北の蝦夷たちや海外(新羅)の使いが、天皇を慕って貢ぎ物をたてまつる。