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【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 慶雲4年①7月 元明天皇即位。史上唯一、子から母への皇位継承

『続日本紀』元明天皇の慶雲4年(707)7月。文武天皇には皇子がいた。しかし、未だ幼少であり皇位継承は不可能だった。病に倒れた天皇は母に譲位することを決断し、かしこまって皇位を継ぐ決断をしたのだった。
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【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲3年② 大宝律令、修正される〜慶雲の改革〜

大宝律令施行から早5年。対外的に「日本国」と号令し独立国としての道を歩み出した我が国。しかし丹精込めて作り上げた大宝律令は早くも現実に合わない不合理な規定もあり、改正の必要が生じていた。文武天皇は詔を発し慶雲の律令改革が断行されるのであった!
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【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲2年④ 天智天皇の孫、葛野王の卒去と人物伝

天智天皇の孫であり、壬申の乱で敗死した大友皇子の子である葛野王が亡くなった。葛野王は敗者の血統にあり、乱後を生きながらも持統天皇に対しまっとうな皇位継承策を奏上する。持統天皇は葛野王の奏言を喜び、まだ若い孫へ皇位を繋ぐことを決意する。
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【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲元年④7月〜8月 衝撃を受ける遣唐使。君子国、日本

『続日本紀』慶雲元年7月〜8月条の現代語訳・解説。遣唐使の帰国と現地人との会話、祥瑞の献上、祈雨、公廨の禄の支給、賑恤の詔、住吉社に奉幣、贈位、封戸の伝領などについて取り上げます。
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【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲元年①正月 日本流お辞儀、廃止へ

持統上皇の喪明けにより、2年ぶりに大極殿で朝賀が行われた。また、地にひざまずくお辞儀である跪礼の廃止など、大陸にならった改革が行われ日本は模索と成長を続けていく。
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【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝3年④ 持統上皇の葬送、歴代天皇で初めての火葬

持統上皇の崩御後、約1年間の殯を経てついに火葬が行われた。これまで天皇の葬送は土葬であったが、仏教を深く信仰した持統上皇は歴代で初めて火葬により葬られた。そして、上皇は夫である天武天皇と同じ山陵で永遠の眠りにつくことになったのである。
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【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝元年①正月 文物の儀、ここに備われり

『続日本紀』の文武天皇紀、大宝元年(701)正月の記事を現代語訳&解説。近年、この時の朝賀の遺構が発掘され、続日本紀の記事の信憑性の高さが証明された。ついに律令国家の夜明けを迎えたのである。
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【現代語訳】続日本紀 文武天皇元年①8月 15歳の即位

文武天皇元年(697)8月、持統天皇の譲りを受け皇太子珂瑠皇子は即位する。当時、天皇即位は30歳以上であることを要するのが不文律となっていた中、当時の史上最年少の15歳で即位となった非常にイレギュラーな存在であった。『続日本紀』には現存最古の宣命文が文武天皇即位宣命として残されている。