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【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 和銅元年① 和銅改元、平城遷都の詔 -平城之地、四禽叶図、三山作鎮-

元明天皇が即位し、初めて年が明けた。正月の早々に東国の武蔵国から和銅が発見され、献上される。天皇はこれを大いに慶び、元号をそのものズバリ「和銅」と改めた。そして平城京への遷都の詔…。新たな御代が天からの賜り物が贈られると共に大きく動き出した。
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【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 慶雲4年① 元明天皇即位。史上唯一、子から母への皇位継承

文武天皇には皇子がいた…のちの聖武天皇である。しかし、未だ数えで7歳の幼少であり皇位を継承することは不可能であった。病に倒れた文武天皇は苦渋の中で母に譲位することを決断し、今際の際にあった天皇であり我が子を前にして元明天皇はやむを得ぬまま宝祚を受け入れる決断をしたのであった。
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【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲3年② 大宝律令、修正される〜慶雲の改革〜

大宝律令施行から早5年。対外的に「日本国」と号令し独立国としての道を歩み出した我が国。しかし丹精込めて作り上げた大宝律令は早くも現実に合わない不合理な規定もあり、改正の必要が生じていた。文武天皇は詔を発し慶雲の律令改革が断行されるのであった!
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【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲2年④ 天智天皇の孫、葛野王の卒去と人物伝

天智天皇の孫であり、壬申の乱で敗死した大友皇子の子である葛野王が亡くなった。葛野王は敗者の血統にあり、乱後を生きながらも持統天皇に対しまっとうな皇位継承策を奏上する。持統天皇は葛野王の奏言を喜び、まだ若い孫へ皇位を繋ぐことを決意する。
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【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲元年③ 衝撃を受ける遣唐使。君子国、日本

2年前に出発した遣唐使が唐から無事に帰国した…!遣唐使たちから聞かされた話に朝廷は衝撃を受ける…!!国史に記録された当時のエピソードをその目で確認せよ…!!!
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【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲元年① 喪明けの正月、日本流お辞儀の廃止令

持統上皇の喪明けにより、朝賀が2年ぶりに大極殿にて行われた。また、国印の製作や、ひざまずくお辞儀である跪礼の廃止など、大陸にならった改革が行われ日本は模索と成長を続けていく。一方飢餓や災害や疫病なども起こり…。
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【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝3年④ 持統上皇の葬送、歴代天皇で初めての火葬

持統上皇の崩御後、約1年間の殯を経てついに火葬が行われた。これまで天皇の葬送は土葬であったが、仏教を深く信仰した持統上皇は歴代で初めて火葬により葬られた。そして、上皇は夫である天武天皇と同じ山陵で永遠の眠りにつくことになったのである。
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【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝元年① 律令国家の夜明け。文物の儀、ここに備われり

『続日本紀』の文武天皇紀、大宝元年(701)正月の記事を現代語訳&解説。近年、この時の朝賀の遺構が発掘され、続日本紀の記事の信憑性の高さが証明された。ついに律令国家の夜明けを迎えたのである。
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【現代語訳】続日本紀 文武天皇元年① 15歳の即位

文武天皇元年(697)8月、持統天皇の譲りを受け皇太子珂瑠皇子は即位する。当時、天皇即位は30歳以上であることを要するのが不文律となっていた中、当時の史上最年少の15歳で即位となった非常にイレギュラーな存在であった。『続日本紀』には現存最古の宣命文が文武天皇即位宣命として残されている。