持統天皇

巻3(大宝3年正月〜慶雲4年6月)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲元年⑤ 止まない災害、失われる秋稼

国の平安を祈り慶雲に改元したものの災異はやまず、とうとう文武天皇は詔によりこの年の全国の税や労役を全て免除するという思い切った手段に出た。というのも当時、災害や疫病は神の怒りであり、天子の不徳がその原因であるとされてきたのである。天皇のご心中は穏やかでない。
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【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝3年④ 持統上皇の葬送、歴代天皇で初めての火葬

持統上皇の崩御後、約1年間の殯を経てついに火葬が行われた。これまで天皇の葬送は土葬であったが、仏教を深く信仰した持統上皇は歴代で初めて火葬により葬られた。そして、上皇は夫である天武天皇と同じ山陵で永遠の眠りにつくことになったのである。
大宝年間(701-704)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝3年② 右大臣阿部御主人没す。天皇、新羅国王の弔使をねぎらう

大宝3年、宮中がざわつく――右大臣・阿倍御主人が薨去。悲嘆のさなか新羅国王の弔意と使節が到着し、饗応・儀礼の段取りに朝廷は奔走する。続日本紀(文武天皇紀)を現代語で追い、詔や日付の流れまで丁寧に整理。
大宝年間(701-704)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝2年⑨ 12月 持統太上天皇、崩御

『続日本紀』の大宝2年(702)12月条を現代語訳・解説。勅(天武天皇と天智天皇の命日を国忌に指定する)。星が昼間に見える。岐蘇山道の開通。持統上皇が病となる。持統上皇の崩御と薄葬の遺詔。葬儀関連司の任官。四大寺で斎会を行う。西殿で殯を行う。など
大宝年間(701-704)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝2年⑧ 10月〜11月 三河国。持統上皇、最後の行幸

『続日本紀』の大宝2年(702)10月〜11月条を現代語訳・解説。卒去(路登美)。隼人平定のお礼参り。薩摩に柵と兵士を配置する。持統上皇の三河国行幸。祥瑞(嘉禾)の献上。大宝律令を全国に広める。詔(孝順の家について)。
巻1(文武天皇元年8月〜4年12月)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 即位前紀

文武天皇の系譜・系図・人となりなどについて。律令国家前夜の天皇はどんな人物だったのか?即位の経緯とは?『続日本紀』の記述をもとに分かりやすく解説。