薨卒記事

元明天皇紀(708-715)

【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 和銅7年① 食封の加増。氷高内親王、即位の兆し?

和銅7年(714年)正月の記事を、現代語訳とともに解説。親王らへの食封加増、食封田租の全給開始。即位の準備ではないかとも言われる、突然の氷高内親王(後の元正天皇)への食封1000戸加増などを読み解きます。
元明天皇紀(708-715)

【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 和銅6年① さらに進める蓄銭の道。お米の売買を奨励

【悲報】郡司は和同開珎を6000枚貯めないと出世できないことが決定しました。
元明天皇紀(708-715)

【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 和銅5年⑤ 出羽国と陸奥国、進む東北経営

和銅5年(712)に陸奥国の最上郡・置賜郡が出羽国へ移された理由を、『続日本紀』の原文と現代語訳で解説。奥羽山脈・最上川舟運・行政運営の観点から読み解きます。
元明天皇紀(708-715)

【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 和銅4年③ 大宝律令10周年、叱責の詔勅

701年大宝律令施行から10年。節目として律令制が当初の想定通り正しく機能しているかの決算を行いたかったのか、朝廷は数々の叱責するような詔勅を渙発。
元明天皇紀(708-715)

【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 和銅4年② 雲漢より、恵みの雨降る

祈雨が実ったのか?実りすぎたのか?元明天皇による恵みの雨を慶ぶ詔や、地方で織成(しょくせい)技術の教習を担った挑文師(あやとりのし)の役割をピックアップ。史料の流れを平易にまとめました。
元明天皇紀(708-715)

【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 和銅4年① 駅家の拡充 多胡碑の碑文からよみがえる古代

遷都は完了したが、遷都事業そのものは終わっていない。国の統治は都だけで完結するものではなく全国を掌握する必要がある。それには中央と地方の連絡に便宜を図るため道路網を整備する必要があるのだ。
元明天皇紀(708-715)

【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 和銅3年② 平城京での治世開始

新京での国づくりが始まったものの、さっそく日蝕という天変が連続する。また、雨乞いを必要とするほどの日照りが起きて飢饉が発生するなど出鼻を挫かれたとも言える異変が頻発。
元明天皇紀(708-715)

【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 和銅3年① 平城京へ遷都。飛鳥時代の終焉と奈良時代の始まり

和銅3年(西暦710年)、元明天皇は藤原京からの遷都を実行に移し平城京を新たな都とした。時代区分としては、平安京遷都に始まる794年までの84年間「奈良時代」の始まりである。
元明天皇紀(708-715)

【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 和銅2年② 新羅使入京、右大臣・藤原不比等と懇談する。

時期不明ながら大宰府に到着していたと思われる新羅使の一行が藤原京に到着する。元明女帝即位後初めての新羅使来朝である。藤原不比等は執政の大臣として史上初めて使者と懇談を行い、2カ国の誼(よしみ)を結ぶのであった。
元明天皇紀(708-715)

【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 和銅元年④ 平城京予定地、視察の旅へ

山の木々が色づき、涼風が吹き始める9月。元明天皇は即位後初の行幸に出発した。行き先は菅原、平城京の予定地である。ケガレの満ち満ちた藤原京から脱するため遷都は喫緊の課題であった。なんと(710)きれいな平城京遷都まで残り1年半。
元明天皇紀(708-715)

【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 和銅元年③ 和同開珎の銀銭・銅銭を鋳造 天皇、高官たちに訓示を下す

和銅改元が行われ、その記念硬貨と言うべき「和同開珎」はこの年の5月と7月に、銀銭と銅銭の鋳造がそれぞれ開始されるのであった。世にいう「皇朝十二銭」の魁である。貨幣そのものはこれより以前にも日本にはあったが、今回の貨幣は本格的な流通を目指していたと思われるが、実態はどうだったのだろう?
元明天皇紀(708-715)

【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 慶雲4年② 凡為政之道、以礼為先。全ての政道は礼を先とする

君主の代替わりは政変が起きやすいもの。そこで朝廷は新たに授刀舎人寮を設置した。これはのちの近衛府の原型組織であり、天皇や皇太子の側衛を担ったと思われる。そして元明天皇は官吏の綱紀粛正を図って改めて正しい礼法の徹底を命ずる。
巻3(大宝3年正月〜慶雲4年6月)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲3年③ 天皇、詔して王公諸臣に仁・義・礼を説き給う

災害級の天候不順、飢饉、疫病、ついには京・畿内におびただしい数の盗賊が出没するようになり、藤原京は死穢・汚穢の悪臭が漂う都となってしまった。盗賊追捕のさなか、文武天皇は詔により仁義礼を説き、百姓に横暴をはたらく王公諸臣を戒める。
巻3(大宝3年正月〜慶雲4年6月)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲3年① 元日、新羅使をもてなす。忠臣大神高市麻呂の死去

災害や飢饉などの窮状に苦しむ姿を見せまいと、国の威信をかけ外国の使者をもてなす日本。文武天皇は新羅の聖徳王に外交文書として国の平安を祈り、王の消息を尋ねる。春首未だ寒し、国王つつがなしや。
巻3(大宝3年正月〜慶雲4年6月)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲2年④ 天智天皇の孫、葛野王の卒去と人物伝

天智天皇の孫であり、壬申の乱で敗死した大友皇子の子である葛野王が亡くなった。葛野王は敗者の血統にあり、乱後を生きながらも持統天皇に対しまっとうな皇位継承策を奏上する。持統天皇は葛野王の奏言を喜び、まだ若い孫へ皇位を繋ぐことを決意する。
巻3(大宝3年正月〜慶雲4年6月)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲2年② 飢ゑる国民 ゴーストタウンと化す藤原京

熱心な祈雨も天には通じず、とうとう8月を迎えても雨が降らない慶雲2年。刑部親王という文武天皇の強力なサポーターや大納言という高官が相次いでこの世を去ってしまう。窮まった朝廷はとうとう藤原宮の正門を閉鎖してしまう…。
巻3(大宝3年正月〜慶雲4年6月)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲2年① 約3年ぶりの天皇行幸 朕、民を救わんが為…

水害、日照り、疫病などの諸問題を抱えたまま明けた慶雲2年。民を思い心を痛める文武天皇は「民の苦しみを救わんがため」と有徳の詔を煥発する。果たして天皇の思いは天を感応させるのだろうか?
大宝年間(701-704)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝3年② 右大臣阿部御主人没す。天皇、新羅国王の弔使をねぎらう

大宝3年、宮中がざわつく――右大臣・阿倍御主人が薨去。悲嘆のさなか新羅国王の弔意と使節が到着し、饗応・儀礼の段取りに朝廷は奔走する。続日本紀(文武天皇紀)を現代語で追い、詔や日付の流れまで丁寧に整理。
大宝年間(701-704)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝2年④ 持統上皇最後の行幸…そして崩御

天皇時代から行幸を愛した持統上皇最後の行き先は…やはり吉野?いや、三河国(愛知県東半部)だった!『万葉集』に残る和歌で、行幸に従駕した当時の人々の思いに心を傾けてみよう!!
大宝年間(701-704)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝元年⑥ 紀伊国行幸、皇嗣・首皇子誕生

この年、文武天皇のもとに、のちに聖武天皇として即位する首皇子が誕生する。この文章を書いているときに思いついたのだが、もしかすると元号の「大宝」とは国内の金の発見ではなく、お世継ぎが誕生をもって名付けられたのではないだろうか?
大宝年間(701-704)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝元年⑤ 持統上皇最後の吉野行、大臣を騙した男

数十回にわたり行われた持統天皇(持統上皇)の吉野行幸。これに込められた思いや狙いとはいったいなんだったのか?
大宝年間(701-704)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝元年④ 右大臣ボーナス、古代の単位、第8回遣唐使

『続日本紀』大宝元年(701)3月から6月までの記事を解説。古代で使われていた単位や、競馬(くらべうま)、5月5日の端午の節と菖蒲(あやめ)のかかわり、遣唐使などについて触れています。
大宝年間(701-704)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝元年① 律令国家の夜明け。文物の儀、ここに備われり

『続日本紀』の文武天皇紀、大宝元年(701)正月の記事を現代語訳&解説。近年、この時の朝賀の遺構が発掘され、続日本紀の記事の信憑性の高さが証明された。ついに律令国家の夜明けを迎えたのである。
巻1(文武天皇元年8月〜4年12月)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇4年② 律令国家前夜、明日香皇女の挽歌、九州地方の統一

続日本紀、文武天皇4年(700年)3月から12月までの記事を現代語訳&解説。万葉集に歌われる天智天皇の皇女・明日香皇女の挽歌、大宝律令の完成、九州地方で起きた事件などについて取り上げています。
巻1(文武天皇元年8月〜4年12月)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇4年① 万葉歌にみえる新田部皇子、道照和尚と三蔵法師

天武天皇の男子、新田部皇子を歌った万葉歌。唐に渡って三蔵法師に師事した名僧・道照などについて触れています。海中に沈んだふしぎなお鍋についても。
巻1(文武天皇元年8月〜4年12月)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇3年② 南の島からの来訪者

『続日本紀』文武天皇3年(699)7月から12月までの記事を現代語訳・解説します。南の島との国交、弓削皇子(天武天皇皇子)、巡察使、義淵法師、鋳銭司などについて。
巻1(文武天皇元年8月〜4年12月)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇3年① 修験道の祖・役小角

文武天皇3年(699)1月26日から6月27日までの記事を解説します。難波宮行幸、祥瑞、皇族、役小角、修験道、山田寺など。
巻1(文武天皇元年8月〜4年12月)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇2年④ 古代山城

『続日本紀』の文武天皇2年(698)5月25日から8月26日までの記事を現代語訳&解説。大宰府の古城について。日蝕・官人などの死について律令をもとに解説。藤原氏と中臣氏などについて触れています。