【現代語訳】続日本紀 元明天皇紀 霊亀元年⑧ 9月 元明天皇、譲位の詔

元明天皇紀(708-715)
みちのく
みちのく

こんにちは、みちのくです☀️
履き物を脱ぎ捨てるようにゆったりした生活を送りたいです。

いづみ
いづみ

みちのくさんは履き物を脱ぎ捨てても『続日本紀』の記事だけは永久に書いてそうですね。

※霊亀への改元はこの年の9月なので、正確には霊亀元年9月改元の日までは和銅8年です。
しかし、『続日本紀』は改元が行われた年の正月に遡って「元年」とする形式なので、これに従っています。



霊亀元年(乙卯・和銅8年・西暦715年)現代語訳・解説 9月

詔(皇親の待遇、六位以下の装飾品の規制など)

9月1日(己卯つちのとう) 詔により、皇親(皇族)の二世は五位に準じ、三世以下は六位に準じることとした。
 文武百寮(文武官のすべての官司)の六位以下は虎、豹、羆ひぐまの皮、及び金・銀で鞍具くらぐ(馬具。馬を操る道具)や横刀たちの帯の端を飾ることを禁じた。ただし、朝会ちょうかい(諸臣が朝廷で参加する公の儀式)の日はこれを用いることを許し、婦女が父や夫の蔭おんにより(父や夫が高位であることによりという意味)身に付けることもまた許した。すべて横刀の鋏つか(刀剣の柄。手で握り持つ部分)は、糸を束ねてつくること。素木そぼく(色などを塗らない木。白木)を用いて脆弱にさせてはならない。

詔。皇親二世准五位。三世以下准六位。
禁文武百寮六位以下用虎豹羆皮及金銀飾鞍具并横刀帶端。但朝會日用者許之。婦女依父夫蔭服用。亦聽之。凡横刀鋏者。以絲纒造。勿用素木令脆焉。

皇親の待遇

皇親の二世は「二世王」つまり親王の子の世代です。

大宝令の継嗣令では、天皇の子(またはきょうだい)である親王を起点に一世とし、二世〜四世を「王」と位置付けています。なお、五世以下は「王」の号を得ても皇親とはされないという規定でした。

しかし、慶雲3年(706)2月16日の継嗣令の改正により皇親の範囲が拡大され、五世王までが皇親の範囲となりました。

みちのく
みちのく

なので、今回の詔の「六位に準ずる」対象は三世王〜五世王までとなります。

いづみ
いづみ

五位に準ずるとか六位に準ずるとか言われても、それは何の話をしてるのですか?

みちのく
みちのく

素直に読めば、この後に続く装飾品に関する待遇だと思います。
詔の続きは「六位以下」の話しかしてないので、三世王〜五世王たちもこの対象になるということですね。

六位以下の装飾品の規制

六位以下の文武官は、朝廷の儀式の時を除き、虎・豹・ヒグマといった獣皮や金・銀といった華美な装飾品で鞍具や横刀の帯の端を飾ることを禁じられました。

「横刀」は腰の左側に装備する刀で、帯取おびとりというふたつの帯を腰帯(腰ベルト)に吊るして身に付けていました。

世界大百科事典(旧版)内の横刀の言及(コトバンク)としては、次のように解説されています。
「鞘(さや)に足金物(あしがなもの)を設け,帯取(おびとり)の緒をつけて,刃を下に向けて腰につるすのを太刀の特色とする。」

つまり「横刀の帯の端」というのは帯取の先端部分のことを指しています。

聖徳太子二王子像

金銀荘横刀(正倉院宝物模造)奈良国立博物館
こちらでも、ふたつの帯取を確認できます。

みちのく
みちのく

養老衣服令には、武官の礼服と朝服に明確に「横刀」の規定があり、このうち六位以下が当てはまるのは、下級武官が朝服の一部として着用する「烏装くろつくりの横刀」です。烏装とは漆塗りのことですね。

黒作横刀(正倉院宝物模造)奈良国立博物館

いづみ
いづみ

端正で上品な刀ですね。
それにしても帯取の端とはずいぶんと細かい部分の決まりですね。

横刀の「つか」部分は糸を巻いて丈夫にすること

さらに横刀は、
鋏(つか。手で握り持つ部分)には糸を束ねてしっかり巻き付け、
白木をそのまま用いて脆い状態にさせていてはならない
とされました。

いづみ
いづみ

確かに、刀剣は「つか」の部分にきれいな緒が何重にも巻かれているイメージです。

みちのく
みちのく

しかし、先ほどの奈良国立博物館蔵の模造の横刀にはそのような仕様にはなっていないみたいですね。



詔(元明天皇、氷高内親王に譲位する)

① 昔の君主のあり方について述べる

9月2日(庚辰かのえたつ) 天皇は氷高内親王に位を禅ゆずられ、次のように詔した。
「 乾道けんどう(天道。転じて君主としての道)は天を統べ、文明の君主は暦をおさめる。大いなる宝とは、その君主の位のことであり、震極しんきょく(天子の居所。帝位そのもの。宸極)が尊い所以である。
 昔、揖譲ゆうじょう(位を譲ること。禅譲)の君主は、その後継者を広く求め、歴試(次々に試すこと)した。干戈かんか(武器、戦争)の君主は、前王朝から位と基業を承け継ぎ、後昆こうこん(子孫)を残すことにより、よく天子の地位を隆盛にした。

天皇禪位于氷高内親王。詔曰。
乾道統天。文明於是馭暦。大寳曰位。震極所以居尊。
昔者。揖讓之君。旁求歴試。干戈之主。繼體承基。貽厥後昆。克隆晢祚。
ざっくり現代語訳

 天皇は氷高内親王に譲位して次のように詔した。

 乾道は天を治め、賢明な君主は暦をつくるものです。君主の地位とは大いなる宝であり、これが尊いものとされる所以です。
 昔、譲位した君主はその後継者を求め、その人物をさまざまに試しました。戦いによって国を治めた君主は、その地位と基業を承け継ぎ、子孫を残すことによって国を豊かにしました。

乾道(けんどう)

「乾」は『易経』に示される「天・陽・剛・能動・創造」の働きを表すものです。
つまり「乾道」はこれらの働き方であり、「天道」は天の働きとなるために、詔では「乾道統天」(乾道は天を統べる)とされています。

みちのく
みちのく

これが転じて、乾道は「君主としての道」という意味も持ちます。
また、これらの働きから性別でいうと男性を象徴し、「男性としてあるべき道」という意味も持ちます。

いづみ
いづみ

元明天皇は女性なのに「乾道」を唱えるというのも面白いですね。

みちのく
みちのく

それは確かにそうですね。
乾の反対は「坤こん」であり、こちらは「地・陰・柔・受動・包容」を表し、女性はこれに含まれます。
陰陽思想では「乾は男、坤は女」という対応があるのに、女性天皇の皇権を表現するときには堂々と「乾」が使われるのは興味深いです。

賢明な君主は暦をつくる

暦というのは今でいうところの「カレンダー」ですが、今のようにただ「今日は何日だっけ」と単に日付を確認するための道具ではありませんでした。

当時にあって、暦は「いつが正月で、いつ一年が始まり、いつ祭祀や農事を行うか」という天下共通の時間秩序そのものでした。

みちのく
みちのく

だから皇帝が暦を定めて公布することは、「天下の時間を統一する」、
さらに、「天下を統治する」くらい大きな意味を含むものだったんですね。

いづみ
いづみ

なるほど、だから改元も「元年」を定めるという「時間秩序」の一新になったんですね。

譲位の君主と戦いの君主

「昔、譲位した君主はその後継者を求め、その人物をさまざまに試した」
というのは、中国の伝説上の帝王である堯ぎょう帝と舜しゅん帝の故事が元ネタです。
老いた堯は位を譲ることを考えましたが、息子では不適格と考え、後継者を広く探しました。そこで舜に長年にわたりさまざまな難事を課してその人物を試したのです。

いづみ
いづみ

つまり、舜は後継者でありながら、堯の子や弟などといった近親関係にはなかったということですね。

みちのく
みちのく

その通りです。
堯の譲位が理想化され「聖帝」とされた理由のひとつは、自分の実子にこだわらず、徳と能力のある舜を選んだことです。

次に、
「戦いによって国を治めた君主は、その地位と基業を承け継ぎ、子孫を残すことによって国を豊かにした」
というのはつまり、「武力によって前王朝を倒し、新たに君主となった者」であり、そういった君主は「子孫に地位と政を継承して国を栄えさせた」、という意味です。

いづみ
いづみ

さっきの「譲位した君主」とはっきり対比の関係にありますね。
でも、譲位の君主と戦いの君主、どちらが良い悪いとは一切言ってなくて、どちらも「皇位継承のひとつのパターン」として見ているようです。その点はいかにも中国らしいです。

みちのく
みちのく

そうですね。実際、日本では皇位は近親者が継ぎます。
しかも、当時の元明天皇の時代にあっては「戦いの君主」は否定しづらい事情もあったと思います。天武天皇は「壬申の乱」という戦いによって自らの直系血統を正統にしたという歴史経緯がありますから。



② 天皇として9年が経ち、老いたため、この地位を去りたい

(続き)

 朕ちん(君主の一人称)は天下に君臨して黎元れいげん(人民)を撫育ぶいくし、上天の保休(加護、助け、恵み)を受け、祖宗の遺した恩恵を頼みにし、海内かいだい(国内、天下)は晏静あんせい(よく晴れておだやかな様子)で、区夏くか(国の全土)は安寧である。しかれども、兢兢きょうきょう(恐れ慎む様子)の心は夙夜しゅくや(朝早くから夜遅くまで)やむことなく、翼翼よくよく(用心深く恐れている様子)の情で一日を慎んでいる。
 庶政に憂労ゆうろう(心配し、苦慮する)し、ここに九載さい(九年)となった。今、精華はしだいに衰え、耄期ぼうき(老い衰えること)によりくたびれてしまった。深く閑逸を求め、高く風雲を踏み(世俗を離れ超然として生きるという意味)、履き物を脱ぎ捨てるように、積み重なった累(煩わしいもの)を捨て、その塵を払うのである。

朕君臨天下。撫育黎元。蒙上天之保休。頼祖宗之遺慶。海内晏靜。區夏安寧。然而兢兢之志。夙夜不怠。翼翼之情。日愼一日。
憂勞庶政。九載于茲。今精華漸衰。耄期斯倦。深求閑逸。高踏風雲。釋累遺塵。將同脱屣。
ざっくり現代語訳

 私は天下に天皇として臨み、人民をいつくしみ、天の助けを受け、祖先の残した恩恵を頼みとすることで国内は穏やかです。しかし、恐れの心は朝早くから夜遅くまで止むことはなく、用心深く慎重に一日を慎んでいます。
 政務に苦慮しながら、ここに天皇として九年が経ちました。今では心身は衰え、老いてしまいました。静けさを求めて世俗を離れて生活したく、履き物を脱ぎ捨てるように積み重なったわずらいを捨て去りたいと思います。

いづみ
いづみ

もう老いて疲れたので皇位を「履き物を脱ぎ捨てるように」去るというのは、現代的な感覚からすると「責任を投げだした」とか、投げ捨てるかのような粗雑なイメージもありそうですが、当時はそうではなかったということですか?

みちのく
みちのく

はい、当時としてはこれはむしろ逆で「至尊の地位にすらこだわることなく、私欲がない」と讃えられる表現でした。

「元明天皇譲位の詔」は、唐の初代皇帝である李淵(高祖)が、子の李世民(太祖)に譲位した時の詔から多くを踏襲しており、その中の

「憂勤庶政、九載于茲」 → 庶政に苦慮し、ここに九年が経った
「耄期倦勤」 → 老いてしまい、勤めにくたびれてしまった
「有同脱屣」 → 履き物を脱ぎ捨てるように

をほぼそのまま踏まえています。
つまり元明天皇だけが「疲れたから辞めます」と投げやりに言っているわけではなく、中国皇帝の正式な譲位の詔を踏まえた格式高い表現だったわけです。



③ 皇太子に譲りたいが、まだ若いため、氷高内親王に皇位を継承する

元正天皇像(南法華寺蔵、江戸時代)

(続き)

 よって、ここに神器を皇太子(首皇子。後の聖武天皇)に譲りたいと思う。しかしながら、年歯ねんし(年齢)は幼く若く、未だ宮の奥深くから離れることができない。庶務は多岐にわたり、一日に万機ばんき(君主が行う無数の政)である。
 一品氷高内親王は早くから祥符しょうふ(めでたいしるし。吉祥)にかない、以前から徳を高く表している。天性の才覚があり、寛仁(心が広く思いやりがあること)かつ冷静であり、また婉孌えんれん(しとやかで美しいこと)である。華夏かか(天下)もこれを待ち望み、人心はここに帰している。
 今、皇帝の位を内親王に伝える。公卿、百寮(全ての官司・官吏)はすべてこれをつつしんで奉り、朕の意にかなうようにすること。

因以此神器。欲讓皇太子。而年齒幼稚。未離深宮。庶務多端。一日万機。
一品氷高内親王。早叶祥符。夙彰徳音。天縱寛仁。沈靜婉孌。華夏載佇。謳訟知歸。
今傳皇帝位於内親王。公卿百寮。宜悉祇奉以稱朕意焉。
ざっくり現代語訳

 よって、ここに皇太子に譲位したいと思うのですが、皇太子は未だ若く幼く、宮の奥深くから離れられません。天皇の政は無数にあるのです。
 一品氷高内親王は早くからめでたいしるしにかない、高い徳を持っています。その心は広く思いやりがあり、落ち着きがあり、しとやかで美しい。天下もこれを待ち望んでいます。
 今、内親王に皇位を伝えます。全ての公卿と官吏はこれを慎んで受け、私の意にかなうようにすること。

氷高内親王は、草壁皇子と元明天皇の娘で、後の元正天皇です。
これは、女帝から女子に皇位継承が行われることを意味し、女子間の継承の事例は今に至るまで「元明→元正」が唯一となっています。

理由ははっきり書かれていて、「皇太子がまだ幼く、若いため」です。
言い換えれば、皇太子がさらに成長するまでの間、一時的に氷高内親王に皇位を預けたということです。

いづみ
いづみ

皇太子は前年に元服したばかりで、年齢は今の時点で15歳ですよね。
父の文武天皇は15歳で即位しているので前例がないわけではありませんが…。
とはいえ、まだ若く幼いという判断もまったくその通りではあると思います。

みちのく
みちのく

この詔では皇太子は「宮の奥深くを離れることができない」と言っており、これはまだ「政務の経験が浅い」ことを意味しているのだと思います。
実際、この年の元日朝賀に初めて礼服を着て参列したことが記されています。

いづみ
いづみ

平安時代の摂関政治になると幼帝が多く登場しますが、実際の政務は摂関が取り仕切りましたね。でも奈良時代では、天皇自身が政務を執ることが大きく期待されていたわけですね。

ちなみに、この時点で元明天皇は数えで55歳、氷高内親王は36歳です。
「精力が衰え、老いて疲れた」という天皇の自己認識は、この年齢を踏まえると、当時としてはそれほど不自然ではないですね。



いづみ
いづみ

『続日本紀』第六巻はここで終わりとなります。
元明天皇紀もここで終わり、次回からは第七巻・元正天皇紀が始まります。

次回の記事

更新をお待ちください。

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