
こんにちは、いづみです♨️
もし亀の甲羅に北斗七星があったら、霊亀って信じちゃうかも…

僕はまず「誰か描いたんじゃない?」って疑うかな
※霊亀への改元はこの年の9月なので、正確には霊亀元年8月は和銅8年です。
しかし、『続日本紀』は改元が行われた年の正月に遡って「元年」とする形式なので、これに従っています。
霊亀元年(乙卯・和銅8年・西暦715年)現代語訳・解説 8月
大宰府官人の家族の課役を全免
8月10日(己未) 次のように制定した。
大宰府官人の家口(家長以外の家族)はすべて課役(庸・調・雑徭)を免ずることとする。制。
大宰府官人家口。皆免課役。
大宰府に所属する官人の家口、つまりその家族は全員、庸・調・雑徭を免除することとなりました。

「大宰府官人」ってかなり大規模ではないですか?
大宰府といえば九州全域を統括する朝廷の出先機関のようなものですよね。

これは「官人」という言葉をどう捉えるかだと思います。
辞書を引くと、官人には広義と狭義があり、狭義で言えば「四等官と品官」です。
大宰府官人の数
四等官 各官司の幹部4階級。「養老職員令」によると大宰府は以下の12人。
帥(長官) 1
大弐・少弐(次官) 3
大監・少監 4
大典・少典 4
品官 専門技能を要する職員。大宰府は18人で、同令よると内訳は以下の通り。
主神 1
判事 2
令史 2
工 3
博士 1
陰陽師 1
医師 2
算師 1
防人正 1
佑 1
令史 1
主船 1
主厨 1
つまり大宰府の官人は合計で30人ということになります。

なるほど、こう見ると大宰府という組織の割には意外と少ないんですね。

一方で広義では「雑任」という、四等官のもとでさまざまな職務に従事する下級職員もいて、これも官人に含む場合があります。
大宰府では雑任として史生という書記官が20人定員として定められています。

もし今回の記事が史生も含むなら50人程度になるというわけですか。
でもやっぱり大宰府という組織を考えると50人でも少ないと思います。
ともかく、これら30人ないし50人程度の官人の家口が課役を免除されたということです。
当時の1家族が何人だったのかは不明ですが、仮に1家族10人程度と想定すると、300人〜500人ほどの規模が課役免除となったことになります。
大宰府官人の負担軽減策か

今回のいわば大宰府官人への「特例」の背景には、和銅2年(709)6月28日の事力半減が原因だったと思われます。
事力は、自ら耕作などを行わない官人に代わり、農作業やその他雑用を担当した成年男子です。
そこでは「大宰帥以下、品官に至るまで事力を半減する」とあり、官人やその家口の労働力が不足していたのではないでしょうか。
しかもその後の霊亀2年(716)8月9日条では、事力半減のために「駈使する丁(男子)が乏しく、諸官人がみな辛苦している」と大宰府が訴え、そこで事力半減を撤回して、再び丁をつけることが認められています。
任官(大宰大弐)
(続き)
従四位上路真人大人を大宰大弐(大宰府の次官)に任じた。
從四位上路眞人大人爲大宰大貳。
同年5月22日には、多治比真人池守が大宰帥に任じられています。
つまりこの年は、
5月 大宰帥・多治比真人池守
8月 大宰大弐・路真人大人
と、大宰府の上層部が整えられています。
しかも偶然かもしれませんが、同日に大宰府官人家口の課役全免もされているため、一連の大宰府の人事等の整備だった可能性がありそうです。

長官に多治比真人、次官に路真人。
いずれも最上級の姓「真人」を持つ人物なのも面白いですね。
京人が浮浪して畿外に出た場合は、流浪先の労役等に従わせる
8月25日(甲戌) 京の人が畿外に流宕(流浪、浮浪)した場合は、その国を本貫(本籍地)とし、事(租庸調や諸役)に従わせることとした。
京人流宕畿外。則貫當國而從事。
この記事で重要なのは、この年5月1日勅との関係です。そこでは、
「天下の百姓の多くが本貫(本籍)に背き、ほしいままに他の地に流浪して巧妙に課役(庸・調・雑徭)を逃れている。その浮浪や逗留(旅先に長期間とどまること)が三ヶ月以上に及んでいる者は、その国の法に従って調庸を輸納させよ」
と、浮浪者が課役逃れをしていることを問題にし、浮浪先で3か月以上滞在する者には現住地で課役を負担させる方針を示しています。

8月25日なのでもう5月1日から4ヶ月近く経ってますね。

はい。今回はその5月1日勅の方針を、平城京から畿外に浮浪した者について課した措置と言えます。
京人が畿外の諸国に逃れた場合は、その逃れた国を本籍地とし「もはや京の戸籍からは除く」としているわけです。これは、[畿外の国→他の畿外の国] に逃れた場合とは一段強い措置です。
優遇された、京・畿内の庸調負担
なぜ平城京から畿外に浮浪した場合は強い措置を取られたのかというと、
京・畿内の人民は
庸が全免
調を半減し、調副物(調に付随して課した納品物)なし
という優遇があったためだと思われます。

つまり、京に戸籍を持ちながら畿外に逃げるということは、
「優遇措置を与えているにもかかわらず畿外へ流浪して京を離れるなら、もう京籍を持たせる必要はない!」というニュアンスがあったのでしょうか。

そういう怒りの感情や懲罰の意味があったのかは分かりませんが、朝廷にとって、京に籍があるのに京の負担を負わない人間に「京人の特典」を残す理由がないわけですね。
祥瑞(霊亀)の献上
8月28日(丁丑) 左京の人・大初位下高田首久比麻呂が霊亀を献上した。
体長七寸、体幅六寸、左眼が白く、右眼が赤かった。
頸部には三公(皇帝を補佐する3人の大臣)があらわれ、背には七星(北斗七星)を負っていた。
前の両脚には離の卦(八卦のパターンのひとつ)があり、後ろの両脚にはそれぞれ一本の爻(卦を構成する一本の横線)があった。
腹の下には赤と白の点があり、これが相次いで八の字をあらわしていた。左京人大初位下高田首久比麻呂獻靈龜。
長七寸。闊六寸。左眼白。右眼赤。
頚著三公。背負七星。
前脚並有離卦。後脚並有一爻。
腹下赤白兩點。相次八字。

祥瑞の献上は数あれど、今回は明らかに異常なのが出てきましたね…。

特徴をひとつずつ見ていきましょう。
体長七寸、体幅六寸、左目が白く、右目が赤い
七寸・六寸を当時の尺度で概算すると、長さ約20cm、幅約18cm前後になります。

両目の色が違うのはおそらく変異なのでしょうけど、この特徴をもとに亀の種類を突き止めることってできますか?

これについては、神戸市立須磨海浜水族園の専門家・後藤康人氏により検討された事例があるようです。
『亀楽』No.18 (「続日本紀におけるカメ献上記録17例」掲載、PDF)
これによると、なんと「謎」とのことです。
大きさから考えると日本固有の在来種の「ニホンイシガメ」が近いようですが、亀にオッドアイ(左右で目の色が違う)が発生するかどうかは不明であり「実態が分からない謎の個体である」と結論付けられています。

う〜ん、「霊亀」の実態、初っ端からなんだか怪しげですね、、
首に「三公」があらわれる
三公は古代中国にて、皇帝を補佐した3人の大臣のことですが、ここではもちろん亀の首に「大臣のイラスト」が描いてあったわけではありません。
ここでの「三公」とは、これを象徴する「三台星」という星が見えたという意味で使われています。(精選版 日本国語大辞典「三公」より)

なるほど、星の話をしてるんですね。三台星とは聞いたことがありませんが、今の夜空でも観察することはできるのでしょうか?

はい、ちゃんと見ることができますよ。三台星は「おおぐま座」を構成する星の一部となっています。


三台星は熊の足先にある六つの星です。

2つペアの星が3連あるので三台星なんですね!
この星たちがそれぞれ「三公」の象徴とされたということですか。

そう。亀の首に三公があらわれたというのは、この三連の「三台星」が見えたという意味に捉えられています。
甲羅に北斗七星を負っている
北斗七星も、先ほどのおおぐま座を形作る星であり、熊の腰から尾の位置に当たります。
(おおぐま座という星のまとめ方そのものは、基本的にギリシア・西洋天文学の系統であり、古代中国や日本、アジア圏で「おおぐま座」と認識していたわけではないことに注意)
北斗七星は古代中国において「天帝の政治・秩序」を象徴する星でした。
『史記』では「斗は帝車たり」、つまり北斗は天帝の車だと説明します。
そして北斗が天の中央を巡りながら四方を統御し、陰陽を分け、四季を定め、暦や節目を整える、とされています。

人智ではコントロールできない事象を司っている星なんですね。
天の中央から四方を統御…確かに北斗七星は一年中見られる星で、北極星を中心に回っている星ですから、「天上から下界をめぐり見ている」イメージはしっくりきます。

その「回っている」動きが「帝車」に結びついたのでしょうね。
つまり亀が北斗七星を背負い、その首には三台星があるということは、この世界の秩序を身に帯びた亀であると言えます。
前両脚に「離の卦」、後両脚に「一本の爻」
離の卦
これは「易」にかかわるもので、世界の状態を「一本線の組み合わせ」で表す占術の要素です。
一本線には2種類あります。
陽: ───── つながった線
陰: ── ── 途中で切れた線
そして、これを3本並べたものが「卦」です。

陰と陽の2種類の線を3本並べると、全部で8つのパターンがあります。
☰ 陽・陽・陽
☱ 陰・陽・陽
☲ 陽・陰・陽
☳ 陰・陰・陽
☴ 陽・陽・陰
☵ 陰・陽・陰
☶ 陽・陰・陰
☷ 陰・陰・陰

これがつまり「八卦」なんですね。
ちなみに「離の卦」は、 ☲ 陽・陰・陽 の組み合わせです。
易では「離」は火・日・明・南などを表します。
爻
「爻」は卦を構成する一本一本の線です。
☲ この卦の3本の線のそれぞれを爻といいます。

爻に見える一本線が亀の後ろの両脚にあらわれていたということですね。

爻の線一本だけでは特定の意味を持たないですよね。
でも「易」を思わせる線が出ていること自体が異常と見られたということでしょうか。
腹の下に赤と白の点があり、「八」の字になっていた
赤と白の点が集まり、連なって「八」の字に見えたということですね。
八百万神
八咫烏
八岐大蛇
大八洲
八十島
このように「八」は古代に神聖視された数でもあり、これが亀の腹にあらわれたのも瑞祥・神秘性を示す特徴として認識されたのでしょう。

…というように、これでもかというほどの意味深な模様のある亀が献上され、「霊亀」であるとされました。

う〜む。さすがにここまでくると祥瑞フルコース特盛りすぎなのでは…。

それはまったく同感です。
でも当時の側から見れば、天文・易・三公・吉数らしきものが一匹の亀に集中して現れたわけで、「これはただの珍しい亀ではない」と受け取るには十分だったでしょう。
それに、
本当にこれらが全部くっきり出ていたのか、それとも、
自然の模様を当時の知識で「意味ある形」として意図的に読み込んだのかは分けて考えるべきではないでしょうか。特に後者の見方は重要だと思います。
要するに、「変わった模様の亀」を当時の知識人の目で見たら
「これ三公や!」
「この点の並びは北斗七星!」
「この模様は離卦を表す!」
「おい、腹に八の字まであるぞ!」
「それお前が書いたんやろ」

といった感じに、自然の模様がどんどん意味ありげな要素として言語化され、結果「霊亀爆誕」となる可能性は十分ありそうです。

権威ある知識人が説得力のある説明をすると途端に信憑性のある話になりますもんね。
次回の記事 霊亀元年9月
更新をお待ちください。




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