【現代語訳】続日本紀 元正天皇紀 霊亀元年① 9月 元正天皇、即位の詔

元正天皇紀(715-724)
みちのく
みちのく

こんにちは、みちのくです☀️
ついに元正天皇の時代が始まりました。

いづみ
いづみ

文武天皇、元明天皇と追ってきて、ここまで来ると私たちもすっかり「首皇子が立派に育つまで見守る会」の古参みたいになってきました。



霊亀元年(乙卯・和銅8年・西暦715年)現代語訳・解説 9月

続日本紀第7巻 巻頭

続日本紀第7巻【霊亀元年(715)9月から、養老元年(717)12月まで】
従四位下行民部大輔兼左兵衛督皇太子学士臣菅野朝臣真道等が勅を奉じて撰す。
日本根子瑞浄足姫天皇【第44代元正天皇】

續日本紀卷第七〈起靈龜元年九月、盡養老元年十二月〉
從四位下行民部大輔兼左兵衛督皇太子学士臣菅野朝臣眞道等奉勅撰。
日本根子瑞淨足姫天皇〈元正天皇第卌四〉



元正天皇の出自、その人となり

 日本根子高瑞浄足姫天皇やまとねこたかみずきよたらしひめのすめらみこと(元正天皇のこと)。諱いみな(貴人の実名)を氷高という。
 天渟中原瀛真人天皇あめぬなはらおきのまひとのすめらみこと(天武天皇のこと)の孫であり、日並知皇子尊ひなめしのみこのみこと(草壁皇子のこと)の皇女である。
 天皇は神識(精神と意識)沈深(落ち着きがあり思慮深いこと)にして、その言葉は常に礼儀正しく規範に則っていた。

日本根子高瑞淨足姫天皇。諱氷高。
天渟中原瀛眞人天皇之孫。日並知皇子尊之皇女也。
天皇神識沈深。言必典禮。

系図

元正天皇は文武天皇の同母の姉でもあります。

元正天皇の即位事情(これまでのあらすじ)

みちのく
みちのく

元正天皇の父・草壁皇子は天武天皇と持統天皇の唯一の男子。皇太子でしたが即位することなく若くして亡くなられました。
そのため、持統天皇の治世を挟んで草壁の遺児が15歳で即位して文武天皇に。しかし、その文武も25歳の若さで崩御してしまい、子の首皇子はあまりに幼いため、文武の母が即位して元明天皇に。
首の成長を待つも、皇位を退く意思を持った元明は娘に譲位し元正天皇が即位しました。

いづみ
いづみ

今に至るということですね。それにしても、この紆余曲折な感じはすごいです。
間違いなく、草壁皇子と文武天皇がお二人とも若くして亡くなられたのが原因ですね。

みちのく
みちのく

そうなってしまいますね。当時求められていたであろう理想は、天武天皇→草壁皇子→文武天皇→首皇子への継承だったのですが…。
そして、もう一つ重要な点は当時の皇位継承は[天武天皇・持統天皇]の血族に限定しようとしていた意図が強く推測されることです。

いづみ
いづみ

系図を見るとすごい血筋ですよね。
文武天皇も元正天皇も母親を介して天智天皇の血統も受け継いでいます。
あまりに尊貴すぎる血統を死守するために皇位継承の流れが硬直化してしまっているようにも見えます。

みちのく
みちのく

この継承の「硬直化」は、奈良時代のほぼ全史を通じてさまざまな皇位継承をめぐる政争を起こすこととなります。
とはいえ、この時点ではまだ正統継承者たる皇太子首皇子がいますから、その成長を待てば良かったのですが。

いづみ
いづみ

う〜ん…どうなることやら?

氷高・日高・飯高・新家

『続日本紀』では、元正天皇の諱(貴人の実名)は「氷高」であり、大宝令の施行に伴い、「氷高内親王」と呼ばれていました。

日高皇女

実は元正天皇は『日本書紀』にも登場しており、
天武天皇11年(682)8月28日(己丑)条には「日高皇女の病を回復させるため、勅により死罪以下の罪人198人をすべて赦免した」とあります。
その翌日の8月29日(庚寅)条は「大官大寺で149人余りが出家した」と記し、これも皇女の病回復に関係するものと思われます。

みちのく
みちのく

字は違いますが、「日高」は「氷高」につながり、後の元正天皇であるとされています。当時、皇女が数え年で3歳頃のことです。
もっとも、『日本書紀』には日高皇女の父が誰かを書いていないため、あくまで推測ではあります。

いづみ
いづみ

当時の名前って史料ごとに表記が揺れたり、同じ史料内でも表記が違ってたりすることが結構ありますもんね。

飯高天皇

さらに、天平19年(747)成立の『大安寺縁起』は元正天皇を指して「飯高天皇」と記しています。
「飯高」は今では普通は「いいたか」と読みますが歴史的仮名遣いでは「いひたか」となり、かなり近い音になります。

みちのく
みちのく

大安寺縁起は元正上皇崩御(748)の前年に作成されたものなので、信憑性はかなり高そうです。

またの名を「新家皇女」

また『書紀』には、先述の天武11年8月28日条の「日高皇女」の注記に「またの名を『新家皇女』」と書かれています。読みは「にいのみ」です。

いづみ
いづみ

これは氷高・日高・飯高とはまったく系統が違う名前ですね。

みちのく
みちのく

そうですね。音は全く違います。
しかし、「新家」は「飯高」とかなり密接に関連します。

伊勢国には飯高郡があり、その南に隣接する一志郡には「新家」という名の地がありました。
現在でも津市内に「新家」(にのみ)として地名が残っています。


三重県津市新家町

そうすると、
飯高皇女 → 飯高郡に関係する名
新家皇女 → その近隣の新家に関係する名

という、二つとも伊勢国の地名に由来する可能性が出てきます。

いづみ
いづみ

古代皇族の名前は、その養育を担当した氏族や、関係する土地などに由来する例がたくさんあるんですよね。阿閇あえ皇女→阿倍氏、大海人皇子→凡海おおしあま氏、草壁皇子→日下部くさかべ などなど。

みちのく
みちのく

もしこの地名と皇女の名が直接関連するものなら、氷高内親王の根源に最も迫る名は「新家」の方なのかもしれません。

いづみ
いづみ

でも「氷高」ってお名前は清らかで高潔な感じがして私はこっちの方が好きです。
元正天皇の「常に言葉が整っていて、美しく、上品でつつましい」という『続日本紀』で語られているイメージにぴったりです。

高田氏とのつながり

元正天皇と高田氏(高田首たかだのおびと)には興味深い繋がりがあります。

8月28日に霊亀を献上した「高田首久比麻呂」ですが、以前高田氏には「高田首新家にいのみ」という人物がいました。
大宝3年(703)7月23日条では壬申の乱の功績を讃え、すでに故人となっていた正六位上高田首新家に「従五位上を贈った」とあります。

その「功績」とはどのようなものかというと、『日本書紀』天武天皇元年(672)6月25日条には、
高田首新家は、伊勢国鈴鹿郡で大海人皇子(後の天武天皇)を出迎えたとあります。
新家は当時、「湯沐令ゆのうながし」という皇族の私有地の管理を行う職についていたようです。

みちのく
みちのく

これは偶然かもしれませんが、「新家」という個人名が一致し、伊勢国という共通点もあります。壬申の乱の時に大海人皇子に初期から従い、皇子の土地の管理もしていたという繋がりもあります。

いづみ
いづみ

そこで今回霊亀を献上したのも「高田首」となると、「本当に偶然か…?」となりますね…!



元正天皇即位の詔

1 天皇は譲りを受け、大極殿で即位した

9月2日(庚辰かのえたつ) 天皇は受禅じゅぜん(譲りを受けること)し、大極殿で即位した。次のように詔した。
「 朕(天子の一人称)は欽つつしんで禅譲ぜんじょうのことばを承り、敢えてこれを辞することなく、祚そ(皇位)を履ふみ極に登り(皇位につく。登極)、社稷しゃしょく(国家)を安んずることを望んでいる。

受禪。即位于大極殿。詔曰。朕欽承禪命。不敢推讓。履祚登極。欲保社稷。

大極殿は朝賀や即位など、平城宮の中核的な施設で、重要な儀礼の時にのみ使用されます。

元正天皇は、先帝であり、母でもある元明天皇からの禅譲を辞退することなく受け入れ、皇位についたと説明しています。

いづみ
いづみ

これにより元明天皇は「元明太上天皇」となったわけですね。

みちのく
みちのく

はい。太上天皇は譲位の帝のことで、略して「上皇」ですね。

謎 元正天皇即位の詔は「宣命体」ではなく「漢文体」

確認できる限り、文武天皇以来、即位時の詔は「宣命体」で記述されてきました。
ところが元正天皇の即位詔は漢文体です。
元正の次代の聖武天皇即位も、さらにその次の孝謙天皇の即位も宣命体です。

宣命体とは、天皇の言葉を日本語の語順・助詞・敬語で記し、儀式の場で「宣命使」という担当者により読み上げ、口頭により伝えたものです。

みちのく
みちのく

つまり、他の天皇のうち、元正天皇即位だけが漢文体なのです。
これはかなり謎で、何か特殊な事情があったのではないかと勘繰りたくなります。

宮内庁書陵部の論文でも、このことについて「元正即位の特異性を物語るものかどうか、さらに検討を要する」としています。(即位儀礼の沿革(橋本義彦、平成3年、PDF))

いづみ
いづみ

謎の空白なんですね…。

2 和銅8年を霊亀元年に改元する

(続き)

 ここに左京職が献上した瑞亀を得た。位に臨む初めに天が示された嘉瑞かずいであり、この天地からの恵みに報いなければならない。
 よって、和銅八年を改めて霊亀元年とする。

粤得左京職所貢瑞龜。臨位之初。天表嘉瑞。天地貺施不可不酬。
其改和銅八年。爲靈龜元年。

「瑞亀」は8月28日に左京の住民・高田首久比麻呂から献上された「霊亀」のことを指しています。
これにより、和銅8年を改元して霊亀元年となりました。

左京の住民が、その行政を管轄する「左京職」に祥瑞を報告し、さらにこれを朝廷に進上し、天皇に奏上、という流れです。

いづみ
いづみ

大宝→慶雲→和銅に続いて祥瑞を元号の名前にしていますね。

みちのく
みちのく

奈良時代の元号はほぼ全て祥瑞由来です。



3 赦を下す

(続き)

 大辟だいへき罪(死罪)以下、罪の軽重にかかわらず、すでに発覚したものも、発覚していないものも、すでに処罰が決定したものも、決定していないものも、繋囚けいしゅう(牢獄に繋がれている囚人)も、現に徒罪に服している者も、ことごとく赦除(罪を許すこと)する。ただし、謀殺(計画的な殺人)の既遂、私鋳銭しじゅせん(私的に銭を製造すること)、強盗、窃盗及び常の赦で許されないものは今回の赦の範囲には入れない。

大辟罪已下。罪無輕重。已發覺。未發覺。已結正。未結正。繋囚見徒。咸從赦除。但謀殺々訖。私鑄錢。強竊二盜。及常赦所不原者。並不在赦限。

ここのあたりの文言は、差異はありますがほぼ定型化していて、即位や立太子や祥瑞献上などの慶事の際は大赦が行われることが多いです。

4 さまざまな恩典

(続き)

 親王以下百官の者(多くの官人)、並びに京畿けいき(平城京とその周縁の国)の諸寺の僧尼、天下の諸社(複数の神社)の祝部はふりべ(各神社で祭祀を担当する下級の神職)たちにそれぞれ差を付けて物を賜う。
 高年の者(高齢者)、鰥寡孤独かんかこどく(妻のない夫と、夫のない妻と、みなしごと、老いて子のない者。身寄りのない者)、疾疹(病気)の者で、自存することができないものには、それぞれ量り考えて賑恤しんじゅつ(物品を支給して支援すること)を加える。
 孝子・順孫、義夫・節婦はその門閭もんりょ(村里の入り口にある門)に名を表し、終身にわたり事(課役など)を免ずる。
 天下の今年の租を免ずる。
 また、五位以上の者の子・孫であり、20歳以上の者には蔭により位を授ける。
 瑞(ここでは霊亀のこと)を得た大初位下高田首たかだのおびと久比麻呂には、従六位上を授け、並びに絁あしぎぬ20疋、綿40屯、布80端、稲二千束を賜う」と。

親王已下及百官人。并京畿諸寺僧尼。天下諸社祝部等。賜物各有差。
高年鰥寡孤獨疾疹之徒。不能自存者。量加賑恤。
孝子順孫。義夫節婦。表其門閭。終身勿事。
免天下今年之租。
又五位已上子孫。年廿已上者。宜授蔭位。
獲瑞人大初位下高田首久比麻呂。賜從六位上并絁廿疋。綿卌屯。布八十端。稻二千束。
京畿の諸寺の僧尼、全国諸社の祝部

仏教界と神職の双方に恩典がありました。
しかし、僧尼には「京畿の」、祝部には「天下の」とあり、その範囲には差があったようです。

自存のできない高齢者、鰥寡孤独、病人

この部分はかなり定型文です。
「高年者」とは律令に具体的に「⚪︎歳以上」とはありませんが、以前の用例から考えるとおおむね80歳以上を念頭にしている可能性が高いと思います。

孝子・順孫、義夫・節婦を門閭に表敬

孝子(孝行の心がある子)
順孫(よく祖父母に仕える孫)
義夫(家族に対して義を尽くした男性)
節婦(夫と死別したあとに再婚せず節操を守る女性)

これは当時の倫理、社会の秩序として望まれた模範的な人物を顕彰するものです。
直近の例では、前年の和銅7年(714)11月4日に「孝義の人」を具体的に表彰した事例があります。



全国の租を免除

租税は大宝令の本来の規定では、田1段あたり「2束2把」となっていますが、慶雲3年(706)9月15日の格(改正法)により「1束5把」に改められました(ただし、これは稲束をはかる規格そのものの変更であるため、数字は減ったが実際に納入する数量は変わっていない)。

みちのく
みちのく

2束2把ないし1束5把という負担は、田1段あたりの収穫量のおよそ3%程度にあたるとされています。

いづみ
いづみ

3%と聞くと意外にもそこまで重税のようにも思えないですね。
とはいえ人民に課せられているのは田租だけではなく調・庸、雑徭といった課役もあるので絶対に楽とは言えないですけどね。

みちのく
みちのく

他には、出挙といって人民に稲を貸し付けて、翌年に利息つけて返済させるというものもあります。租が免除されても持っていかれる稲はあるのです。

蔭位

従五位下よりも上の位階を持つ官人の子と孫のうち、20歳以上の者にはその恩典として位階を授けることとなりました。

これを「蔭位」といい、その位階を授けられる子・孫のことをそれぞれ「蔭子」「蔭孫」といいます。
大宝令の選叙令では対象となる年齢を21歳以上としていますが、今回の恩典では20歳以上となっています。

いづみ
いづみ

親の高位の「お蔭さま」ということですね。

高田首久比麻呂

この人物は8月28日に霊亀を献上した人物です。
当時、平城京の左京に住んでいたことが記されています。
大初位下 → 従六位下 は階数でいうと、何と11階級もの昇進です。

いづみ
いづみ

とてつもないですね。



次回の記事 霊亀元年10月〜12月

更新をお待ちください。

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