巻3(大宝3年正月〜慶雲4年6月)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲2年② 飢ゑる国民 ゴーストタウンと化す藤原京

熱心な祈雨も天には通じず、とうとう8月を迎えても雨が降らない慶雲2年。刑部親王という文武天皇の強力なサポーターや大納言という高官が相次いでこの世を去ってしまう。窮まった朝廷はとうとう藤原宮の正門を閉鎖してしまう…。
巻3(大宝3年正月〜慶雲4年6月)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲2年① 約3年ぶりの天皇行幸 朕、民を救わんが為…

水害、日照り、疫病などの諸問題を抱えたまま明けた慶雲2年。民を思い心を痛める文武天皇は「民の苦しみを救わんがため」と有徳の詔を煥発する。果たして天皇の思いは天を感応させるのだろうか?
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【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲元年⑤ 止まない災害、失われる秋稼

国の平安を祈り慶雲に改元したものの災異はやまず、とうとう文武天皇は詔によりこの年の全国の税や労役を全て免除するという思い切った手段に出た。というのも当時、災害や疫病は神の怒りであり、天子の不徳がその原因であるとされてきたのである。天皇のご心中は穏やかでない。
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【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲元年④ 衝撃を受ける遣唐使。君子国、日本

2年前に出発した遣唐使が唐から無事に帰国した…!遣唐使たちから聞かされた話に朝廷は衝撃を受ける…!!国史に記録された当時のエピソードをその目で確認せよ…!!!
巻3(大宝3年正月〜慶雲4年6月)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲元年③ 祥瑞出現により改元。人心一新・政局打開なるか?

突如、藤原宮の西の楼に煙のような雲のようなものが立ちのぼった。その様子は昇龍のようで、文武天皇の徳による治世が天に認められたことの証明となったのである。これを最高の吉兆、「大瑞」と認定し、元号を「慶雲」と改めたのであった。
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【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲元年② 信濃の真弓、大宰府へ

『続日本紀』慶雲元年(704)2月〜4月の記事を現代語訳。信濃国が献上した弓1400張を大宰府に充てた記事を中心に、日蝕・疫病・国印鋳造・飢饉救済についても解説します。
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【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 慶雲元年①正月 日本流お辞儀、廃止へ

持統上皇の喪明けにより、2年ぶりに大極殿で朝賀が行われた。また、地にひざまずくお辞儀である跪礼の廃止など、大陸にならった改革が行われ日本は模索と成長を続けていく。
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【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝3年④ 持統上皇の葬送、歴代天皇で初めての火葬

持統上皇の崩御後、約1年間の殯を経てついに火葬が行われた。これまで天皇の葬送は土葬であったが、仏教を深く信仰した持統上皇は歴代で初めて火葬により葬られた。そして、上皇は夫である天武天皇と同じ山陵で永遠の眠りにつくことになったのである。
大宝年間(701-704)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝3年③ 庚午年籍不改の詔

高校の日本史教科書にも登場する、有名な日本最初の全国的な戸籍「庚午年籍」。通常、戸籍は一定期間の保存期間を過ぎれば廃棄されるが、庚午年籍は特に文武天皇の詔により、永久保存とされた。その理由は??
大宝年間(701-704)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝3年② 右大臣阿部御主人没す。天皇、新羅国王の弔使をねぎらう

大宝3年、宮中がざわつく――右大臣・阿倍御主人が薨去。悲嘆のさなか新羅国王の弔意と使節が到着し、饗応・儀礼の段取りに朝廷は奔走する。続日本紀(文武天皇紀)を現代語で追い、詔や日付の流れまで丁寧に整理。
大宝年間(701-704)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝3年① 諒闇で明けた新年、刑部親王の知太政官事任命

昨年年末に崩じた、先帝であり文武天皇の祖母である持統上皇。上皇の喪に服すため、国家の大儀である元日朝賀の儀は取りやめとなり、天皇は政務を取りやめた。未だ若い20歳の文武天皇最大の後見人であった持統上皇が失われた今、国はどう動いていくのか?
大宝年間(701-704)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝2年④ 持統上皇最後の行幸…そして崩御

天皇時代から行幸を愛した持統上皇最後の行き先は…やはり吉野?いや、三河国(愛知県東半部)だった!『万葉集』に残る和歌で、行幸に従駕した当時の人々の思いに心を傾けてみよう!!
史跡などの感想や解説

【想定外の】淳和天皇御陵奉拝記【ガチ登山!?】

一般車両通行止めの山道の先、徒歩90分ほどかけてようやく訪れることのできる淳和天皇陵を訪問してきました。御歴代で唯一散骨により葬られ、御陵を造らない遺詔を残されたが1000年後の江戸幕末になって新造。天皇の御霊はどのように思われたことだろう?
大宝年間(701-704)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝2年③ 天皇2度目の吉野行幸、隼人の反乱、2つの落雷事件

天皇の御在所が近い宮城門と国家の英雄ヤマトタケルの墓へ相次いで落雷。その上隼人の反乱など、不穏な事件が続く…。そのときの文武天皇や持統上皇の心境やいかに!?(わかりません)
大宝年間(701-704)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝2年② 神馬・柊の矛の献上、二槻離宮の修理、大宰府の権限、5世王の優遇、参議の任命…など

大宝2年(702年)の3月から5月までの記事を紹介。神馬や魔除けの効果があるヒイラギの矛などが天皇に献上される。前年には文武天皇と藤原不比等の女子である宮子との間に待望の男子(のちの聖武天皇)が生まれ、天皇・持統上皇・不比等の3頭体制はますます重要度を増していた。
史跡などの感想や解説

【石段上り下りで】嵯峨天皇御陵奉拝記【運動不足解消?】

史跡探訪記。今回は嵯峨天皇陵をご紹介。嵯峨天皇は第52代天皇で、平安京を開いた桓武天皇の皇子。唐風をこよなく愛し、文化の興隆に心を砕かれました。
大宝年間(701-704)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝2年① 朝賀の儀、礼服の着用、雅楽の演奏…日本、律令国家2年生

「文物の儀、ここに備われり」…律令国家の夜明けを迎え1年。2年生になった独立国家日本。文武天皇は20歳となるが当時としてはまだまだ若すぎる天皇である。官僚制が始動し、天皇御璽を押印する重みを日々感じつつ政務にあたっていたことだろう。
史跡などの感想や解説

【ピクニック気分】仁明天皇の愛した『双ヶ丘』を訪問しました【駅から徒歩数分】

京都市郊外、平安京右京を外れたところにこんもりとした山が座っています。その名も「双ヶ丘」。天皇や平安貴族と双ヶ丘…そこにはいかにも往時の京の都を思わせる雅なエピソードがあった!?
大宝年間(701-704)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝元年⑦11月〜12月 首皇子誕生

大宝元年(701)11月〜12月の『続日本紀』を現代語訳。天下の大赦、造大幣司の設置、弾正台の畿内巡察、恩赦手続の変更、位袋や官人妻の服色、大伯内親王の薨去、後の聖武天皇となる首皇子の誕生について詳しく解説します。
大宝年間(701-704)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝元年⑥ 天皇・上皇、紀伊国に行幸

大宝元年(701)8月〜10月の『続日本紀』を現代語訳。文武天皇・持統上皇の紀伊国行幸を中心に、大宝令の講義、皇親への禄、高潮・蝗害と救済、高安城の廃止、調忌寸老人への追贈、行幸後の免税まで解説します。
大宝年間(701-704)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝元年⑤ 持統上皇最後の吉野行、大臣を騙した男

数十回にわたり行われた持統天皇(持統上皇)の吉野行幸。これに込められた思いや狙いとはいったいなんだったのか?
大宝年間(701-704)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝元年④ 右大臣ボーナス、古代の単位、第8回遣唐使

『続日本紀』大宝元年(701)3月から6月までの記事を解説。古代で使われていた単位や、競馬(くらべうま)、5月5日の端午の節と菖蒲(あやめ)のかかわり、遣唐使などについて触れています。
大宝年間(701-704)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝元年③3月 金の献上、冠位のおわり、位階のはじめ…

『続日本紀』大宝元年3月。対馬より金が献上され、これを慶事と喜んだ朝廷は長らく途絶えていた元号を立てることを文武天皇に要請。「大宝」という元号に当時の喜びを感じられるが実は…? 現代語訳し、わかりやすく解説!
大宝年間(701-704)

【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝元年②2月 唯一の御製和歌

『続日本紀』の大宝元年2月の記事を現代語訳&解説。釈奠の史料初見、記録に残る文武天皇唯一の和歌を掲載。
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【現代語訳】続日本紀 文武天皇紀 大宝元年①正月 文物の儀、ここに備われり

『続日本紀』の文武天皇紀、大宝元年(701)正月の記事を現代語訳&解説。近年、この時の朝賀の遺構が発掘され、続日本紀の記事の信憑性の高さが証明された。ついに律令国家の夜明けを迎えたのである。